全日本モトクロス2013 TEAM HRC現場レポート

HRC
vol.8 世界に挑戦

モトクロス・オブ・ネイションズ

モトクロスシーズンのフィナーレを飾るビッグイベントである国対抗団体戦の「モトクロス・オブ・ネイションズ」が、今年はドイツのトイチェンタルで開催されました。今回の日本代表は小島庸平(スズキ)、富田俊樹(T.E.SPORT)、小方誠(TEAM HRC)の3選手が選出され、全日本モトクロス選手権第8戦の1週間前という強行スケジュールをモノともせずに奮戦してきました。今回の現場レポートでは、出場した小方選手だけでなく、同行した井本敬介監督、中村篤史メカニックにもお話をうかがってみました。

井本敬介(モトクロス・オブ・ネイションズ日本代表チーム監督)

ネイションズの日本代表メンバーは、全日本モトクロスの中間成績に応じて決められます。監督も毎年交代していますが、今年は小方と富田がHondaのライダーということで、私が監督に任命されました。他社のライダーも含めた日本代表をまとめる任務ですので、TEAM HRCの監督とはまた違った難しさもありました。

参戦準備は夏前から着手しましたが、幸い、ヨーロッパにはHondaの拠点がありますし、今回はHonda World Motocross Teamをベースとして、サポートしてもらいました。彼らのプロフェッショナルな仕事ぶりはさすがで、準備さえやっておけば、世界中のどこでもレースができることを実感しました。

日本以外の国ではほとんど世界選手権も国内選手権も終了しており、「さあ、今度はネイションズだ」という流れなのに、日本はシーズン途中のため、自ずとチャンピオン争いをしているトップライダーが参加することになります。ですから、特に留意したのは、ケガをしないようにということでした。ライダーが聞き飽きるほど、安全意識をインプットしましたね。集中力を欠かないように。何度も言葉にして伝えました。

全日本モトクロス終盤の第7戦名阪と第8戦川越の間に、ネイションズのようなビッグイベントがあるのは、日本にとっては非常に負担になります。ルーティンの中に入っていればまだいいのですが、2〜3カ月前に突然決まるわけですから、現地でのマシンの手配、パドック設営の段取り、渡航や宿泊の予約など、全日本に支障をきたさないように組む必要があります。もちろん事前テストも影響を受けます。川越のマシンをテストしてから出発し、帰国後にはマシンが準備できているような日程を組まなければなりませんから。

今回の小方のマシンは、日本での練習車を運びました。基本的に全日本仕様と同じですが、FIM(国際モーターサイクリズム連盟)で使われるガソリンはMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)のものよりもパワーが出ますので、それに対応したセッティングを施しました。具体的にはマップを変えただけです。音量検査は日本と同じですので簡単にパスしましたが、アメリカチームはいつも苦労しているみたいですね。AMA(AMAスーパーバイク選手権)のレギュレーションでは音量的にもレースガスの成分的にも楽ですから、ネイションズに出場するときはいつもアウェイの洗礼を受けるわけです。

小方は早めに渡航してベルギーで練習を積みましたが、クレメント・デサール、タネル・レオク、ディーン・フェリスらも来ていて、彼らと同じペースで走っていました。ベルギーのゲンクあたりの小さめのコースなら同等でしたが、バストーニュなどの世界選手権開催規模のコースに行くと、やはりGPライダーには置いていかれました。難易度が上がると差が出て、さらに荒れてくるともっと差が出るという傾向ですね。世界のトップが集まって行われているレースの中で生じる未知の部分、ギャップやワダチなどには戸惑ってしまうのが現実。経験の差がそのまま今回の成績に出たようです。実力通りだと思っています。

今回はクジ運が悪かったことも確かですね。レイアウト的にアウト側が極端に不利でした。ただ考えようによっては、予選結果に応じて有利なグリッドを取れるのはロードレースと同じなので、それは受け入れるしかありません。予選のグリッドがクジ運で左右されてしまうのは、どうにもならない部分でしたが、苦戦の原因として挙げるつもりはありません。

日本のベストリザルトは6位入賞(2000年、2003年)ですが、24位だった今回との差はライダーの経験の差だと思います。具体的には熱田孝高と成田亮の存在です。彼らにはアメリカやヨーロッパに渡ってシリーズを転戦していた豊富な経験があり、デナシオン(当時)で力を発揮できましたが、今の小方と富田にはそこまでの経験がありません。ただ、いつまでもベテラン頼りではいけませんので、今は次世代に切り替わる過渡期の苦しみに直面しているのだと思っています。

小方誠(モトクロス・オブ・ネイションズ日本代表オープンクラス)

昨年のネイションズは急に行ってほしいと言われましたので、なにもできずに呆然としていましたが、「その悔しさを踏まえて今年も出てやる」とネイションズを目標にしてきました。ただ、「その結果がこれかぁ」とガッカリしました。予選落ちで、Bファイナルでも落ちて、総合24位……。昔、成田さん、熱田さん、高濱さんの3人で6位に入ったこと(2000年)が、改めてすごいというか、もう信じられないというか、とにかくショックです。今度は「自分たちで6位を超えるぞ」って思っていたんですが……。6位はすごく遠い気がします。

早めに渡航してベルギーのゲンクで練習していたころは、結構いい感触だったんです。路面はヨーロッパでいうハードで、広島の表面を軟らかくしたような感じのコースでした。ほかの国の代表メンバーがかなり来ていて、練習ではレオクやフェリスと同じタイムを出せました。ところが、ネイションズの本番になって、土曜の公式練習が始まると、同じライダーについていってもすぐに差をつけられてしまいました。中村さんと相談して、一緒に走ったことがあるライダーを見つけたら、引っ張ってもらおうという作戦だったんですが、レオクを追いかけたら簡単に置いていかれて、それがちょっとショックでした。

コーナリングスピードが全然違いますね。進入のギャップもなにもないように通過していくんですよ。それからトイチェンタルは起伏があるコースで、日影が真っ暗でなにも見えないところがあって、僕は様子を見ながら行きましたが、彼らは全開で行く。見えないのに行っているのか、それとも彼らには見えているのか……。ついていってみるとものすごいワダチだらけでびっくりするなど、そういうところで差をつけられてしまいました。

予選では前のライダーを抜こうとしたときに、フロントが滑って転倒しました。Bファイナルでもいいポジションを走っていましたが、前のライダーの転倒に突っ込んで、コースアウトしてタイムロス。すごく悔しかったです。昨年のようなディープサンドとは違って、今回はいい走りができたと思うのですが、不甲斐ないというか、向こうのライダーとの差を見せつけられたのが悔しくてたまりません。

レース後のミーティングでは、残念な結果になりましたが、素直に受け入れて今後に生かそうみたいな話をしました。もっと外国で乗り込んだり、レースをしたりしないと駄目だと思いました。あとは図太さですかね。アメリカでもヨーロッパでも、事前テストなんてやらないそうですし、コースインしたらいきなりタイムを出しますよね。セッティングなんてあまり気にせずにガンガン攻める。それから競り合いのときに遠慮が全くない。インのインに入ってくる。ぶつけるんじゃなくて、すき間にねじ込んでくる感じ。そういう強引さがもっと必要だと痛感しました。

中村篤史(モトクロス・オブ・ネイションズ日本代表メカニック)

9月19日に小方選手と一緒にドイツのフランクフルトに着いて、翌日はHREG【Honda R&D Europe(Deutschland) GmbH】で日本から送ったマシンを受け取り、レンタカーに積み込んでベルギーに移動しました。ネイションズが行われるトイチェンタルはドイツ東部ですので、ベルギーの方が練習環境がよかったからです。ロンメルに滞在していましたが、Honda World Motocross Teamの本拠地も20分ぐらいの近さで、とても便利なところでした。21日、22日とゲンクで練習し、オフを挟んで24日はバストーニュ、25日はゲンクで練習し、26日にはドイツに移動しました。

トイチェンタルのパドックでは顔なじみのスタッフと再会できて、全くアウェイという感じがしませんでした。Honda World Motocross Teamのスタッフは、平田優と一緒にサルデーニャで合宿して以来。American Hondaのスタッフは、僕が正月にアナハイムスーパークロスを見に行って以来です。皆が「やあやあ、久しぶり」という感じで歓迎してくれました。

グランプリではボビー(イブジェニー・バブリシェフ)と(マキシミリアン)ナグルがファクトリーライダーですが、そこに(ジャスティン)バルシアと(エル)トマックが来ただけでトラックは満員。僕らのためにもう1台トラックを用意してくれて、そこが小方と富田の拠点になりました。

小方はそれなりになじんでやっていましたね。練習でもGPライダーを見つけて追いかけていると、「なんだコイツ」みたいに認知されて、走り終わると打ちとけて話している。英語ができないくせに、体当たりであいさつに行って、結構密にコミュニケーションをとっていました。意外と海外でやっていける才能があるかもしれませんね。

予選の前には、GPライダーの方が速くて当然なんだから、ムキになってミスを連発したり転倒したりしないように、とにかくロスをなくしてスムーズに走ろうと話しました。彼らは何度も走った経験がありますし、こっちは初めて走るわけですから差があって当然です。でも予選で落ちてBファイナルに臨むときには、「これはもう行くしかないだろう」と気合を入れてやりました。富田が体調を崩していましたし、450の小島選手と小方の2人でやるしかないと……。スタートでは小方が前に出て、「7〜8番で来たー!」って思ったんですが、そこから波に乗りきれなくて小さくなってしまいましたね。

総合順位は正直言って悔しいです。ラトビアに5点差だから、6点あれば、つまり2人であと3つ前だったら決勝に進めた計算になります。小島選手はがんばった。小方もだんだんコースが分かってきて、Bファイナルあたりで調子が出てきた感じでした。日本のトップライダーがファクトリーマシンを持って世界に行って、予選を通らないってどうなんでしょう。物に頼らずに、もっとやることがあるんじゃないか。その答えは小方自身も気づいていますので、期待してもらっていいと思います。

僕にはGPでメカを務めた経験もないですし、ネイションズに初参戦してまず感じたのは、これが世界の標準なんだなということです。大会の規模、レースの質、観客の盛り上がり、各国の意気込み……。オリンピックというと大げさかもしれませんが、それぞれの愛国心や歴史の重みをひしひしと感じました。レースの競り合いもすごい。やっぱり世界中から注目されている上に、自国の威信もかかっているから、だれもあきらめないですよね。

Honda World Motocross Teamはもともと多国籍なんです。ライダーのボビーがロシア人で担当メカがフランス人、ナグルがドイツ人でメカがイギリス人、そしてチーム監督がイタリア人。ところがGPが閉幕してから2〜3週間だけ、ネイションズまでは担当ライダーの国の人間になりきってサポートするんです。フランス人がロシアチームのシャツを着たり、イギリス人がドイツチームのシャツを着たりして、ネイションズが終わるとまた普段のGPチームに戻ります。

ネイションズが終わったあとは、サッカーの試合後みたいにジャージやチームウエアを交換したり、「また来年会おうな」とか、「お前もGP来いよ」とかいう話になって、小方も「イェース!GP走りたいです!」なんて合わせていました。レース結果については悲喜こもごもがありますが、モトクロスを愛する人間が集まってこんなに熱くなれる、そんなところがいいなと思いました。

<< INDEX
  • s