全日本モトクロス2013 TEAM HRC現場レポート

HRC
vol.6 チームトラック

日本中を飛び回るTEAM HRCのトランスポーター

全日本モトクロス選手権のパドックエリアで、いつも際立っているのが、TEAM HRCのトランスポーターです。長距離を移動して会場に到着すると、2階建てに早変わりするこの「母艦」について、TEAM HRC専属ドライバーの横山繁さん(日本梱包運輸倉庫株式会社)に、お話を伺いました。

各社でいろいろな呼び方があるかもしれませんが、我々は「チームトラック」と呼んでいます。車種としては、日野プロフィアをベースにカスタマイズしたもので、キャビンとシャシーが日野製、特注ボディーが改造専門メーカー製です。全長12m、全幅2.5m、全高3.8m、総重量25トン。エンジンスペックは、ディーゼルの直6ターボ14リッター、7速ミッション。キャビンとコンテナが固定された、トレーラーではないトラックとしては、日本国内では全長12mが最大なので、枠内最上級のトラックです。4軸ともエアサスなので、観光バスに乗っている感覚です。

同じクラスだったら11トンぐらいまで積載可能ですが、このチームトラックはコンテナの壁、発電機やウイングの装備などで重くなっているため、実際に積めるのは7トン600kgまでです。モトクロスの遠征には非常に多くの荷物が必要ですが、その内訳は、マシン、スペアパーツ、工具、洗車機、灯火類、テント、ビーム(梁)、パーテーション、バナー、自転車、リヤカー、マット、扇風機、風呂桶、椅子、テーブル、ビデオモニター、無線機、スコップなど。これらを潟zンダ・レーシング(埼玉県朝霞市)で積み込み、各地のモトクロス会場で降ろします。

現場に着いたらウイングを上げ、前後にパネルを組んで四辺を囲めば2階建てとなります。2階はライダー3人の居住スペースとマッサージ室になりますが、ここで必要になる椅子やテーブルなどは、ウイングを下げたときに床と屋根の間に設けてある50cmのすき間に収納します。ライダーの装具なども同様で、個人的に持参する物以外はこのすき間に収納して移動します。

チームトラックが現地に着いてからパドックが完成するまで、所要時間は1時間ほどでしょうか。2階は私とメカニック1人、それにウイダーのスタッフにも手伝ってもらい、準備します。下でテントを張ったり、マットを敷いたり、いろいろな物を定位置にセットするのも1時間ぐらい。レース後の片付けも同じ時間で可能です。チームスタッフにも入れ替わりがありますから、全員の習熟度が上がって息が合うようになるまでには、ある程度の回数をこなす必要がありますが、今は全員がだいぶん慣れてきてチームワークも向上してきました。

このチームトラックは導入9年目、デビュー戦は2005年の名阪でした。その当時は、名阪国道をくぐる狭いトンネルを通れるようにサイズを決めたのだとかささやかれましたが、それは少し大げさな話です。あそこは確かに狭いトンネルですが、特に制限する標識はないので、基準を満たしていれば大型でも通れるはずだからです。このチームトラックが導入されるまでは、大型ですが全長が10m強しかない、いわゆる寸足らずのトラックでした。1台だとライダーがくつろげるスペースが足りないし、2台にすると経費も増えてしまうので、現在のこの形がベストなのではないでしょうか。移動はコンパクトにして、現地では広く展開できる仕組みなので効率的です。

現場までの所要時間としては、朝霞から熊本(HSR九州)までは高速道路でつないでざっと22時間。運送法にのっとり、3時間半ごとに30分の休憩をしながらの移動です。さらに、乗務職の労働時間は1日最大16時間と定められています。例えば出社してから積み込みなどで6時間の仕事をしてから出発した場合、10時間走ったら8時間睡眠を取らないといけないということです。従って熊本までの22時間のうち、実際の走行時間は約14時間になります。

広島(世羅グリーンパーク弘楽園)までは朝霞から13時間。積み込み時間を入れても16時間にはならないので、睡眠は取らずにコースの近くまで行きます。名阪(名阪スポーツランド)は8時間。菅生(スポーツランドSUGO)は6時間。藤沢(藤沢スポーツランド)は菅生+2時間なので、8時間ですね。HOP(北海道オフロードパーク)の場合は、仙台港まで6時間、苫小牧までフェリーに乗って11時間、上陸してから千歳まで40分といったところです。なるべく船に乗らないで自走する主義ですが、北海道だけはフェリーを利用します。あとは川越(オフロードヴィレッジ)ですが、ここは1時間もかからないほどの近所なので、ほかの大会へ出発するときとは少々趣が違いますね。

遠征の回数は、年間のレース数(今年は9戦)+同数の事前テスト(9回)+α(4〜5回)で22〜23回でしょうか。広島と名阪は昨年まで2戦ずつ(名阪は2012年は1戦)ありましたし、チームとしても重視していましたので、何度もテストに行きました。遠征の移動パターンとしては、レースごとに、そしてテストごとに、単純往復して朝霞に戻るのが基本です。例えば熊本でレースをしたあとに、広島へ移動して事前テストをやるような日程は最近は組んでいません。法律で1回の運行は7日以内と定められましたので、行きっぱなしの出張が許されなくなったためです。私の場合は、熊本に行って帰るまで6日間、北海道に行って帰るまで7日間なので、法律的にぎりぎりセーフなのです。

ドライバーを交代制にすれば、もっと長期出張も可能になるかもしれませんが、交代要員の費用もかさみますし、特殊なトラックなのでだれにでも操作できるわけではありません。トラックを水平に保つためのアウトリガー、リアゲートの操作などは似たようなものですが、ウイングの上下開閉や積み込みの仕方などは慣れが必要な作業です。そういう観点から、会社ではトラックとドライバーを担当制として紐づけていますし、一旦帰社して再出発した方がベターだろうとの判断から、現在は単純往復という運行形態を採用しています。

TEAM HRCに帯同するようになってから、もう20年以上経ちました。チーム在籍年数では最古参ですね。私のデビューはオートポリスで宮内(隆行)選手がチャンピオンを決めたときですから1991年。前任者が都合悪くなったので代打で行って、92年からスポットで3〜4戦、93年からは正式に全戦帯同してきました。TEAM HRCが活動を休止した2年間は、このトラックを一般の用途に使っていましたので、フォーク積みなどができるように左側の壁を撤去して真っ白に塗り替えました。レースの仕事はお休みになりましたが、2輪、4輪、部品などを運搬する任務に就いていました。その後、ファクトリー活動が再開することになって、またTEAM HRC専属ドライバーとして戻ってきたわけです。

一般的には走行距離が120万kmに達すると買い替えるのですが、このチームトラックは現地でパドックを展開して待機する仕事が主なので距離があまり伸びません。9年間でたった30万kmしか走っていないのです。普通の運送会社だったら走りっぱなしですから、30万kmぐらいは2年でクリアします。このペースで120万km走るには、この先まだ何年もかかりますし、そうなる前に買い替えることになると思います。それまでなのか……あるいはそれ以降も担当させてもらえるのかは分かりませんが、私でよければ今後もお付き合いさせていただきます。TEAM HRCからチャンピオンが誕生するのを何人も見てきましたし、これからも喜びを分かち合いたいですからね。

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