team HRC現場レポート

第3戦まで消化した全日本モトクロス選手権ですが、ここまでのIA1クラスで唯一パーフェクトウイン(1位/1位)を記録しているのが、Team HRCの山本鯨選手(#400・CRF450RW)。開幕戦(4月14日・熊本・HSR九州)における完全優勝は、負傷からのカムバックという劇的なものでした。Team HRCのインサイドストーリーをお伝えする現場レポート。今回はフィジカルトレーナーの淺井利彰氏に、山本選手が取り組んだシーズンオフの調整について伺いました。

淺井利彰フィジカルトレーナー

Vol.58

負傷からの復活を支えたトレーニング

ご存じのように山本選手は、昨年の最終戦MFJ-GP(10月28日・宮城・スポーツランドSUGO)で、クラッシュした際に右肩を脱臼しました。会場のオフィシャルドクターによって応急処置を受け、骨折がないことを確認したので、しばらくは炎症や出血が治まるのを待ちました。脱臼後の対応には、保存療法か手術か選択肢が2つあります。関節を包んでいる袋や靱帯が損傷するので、再発を防止するためには他の場所から靱帯を1本移植して、肩の前側を固定するのが一般的な手術です。

専門医の判断を仰ぐ必要がありましたが、山本選手には左肩の脱臼後に手術した経験があり、腹は決まっていたようです。11月21日に最初の診察を受けると、12月4日に手術することが決まりました。山本選手が以前からお世話になっている整形外科の先生なので、スケジュールの設定もスムーズだったようです。上腕二頭筋から腱を移植して、鎖骨に近いところにボルト止めしました。ボルトが骨に付くまで3カ月かかるので、最終診察は3月5日。順調に行けばこの日が医学的な卒業になるわけですが、そこから準備しても4月中旬の開幕には間に合いません。そこで初期段階から計画を立て、リハビリとトレーニングを並行してやることになりました。


山本選手と淺井トレーナー
山本選手と淺井トレーナー

山本選手は埼玉と奈良の家を行き来しているので、プロジェクトには複数のスタッフが関わりました。私が携わったのは、当初は肩以外の部分で、脚や体幹などを開幕戦に間に合うようにトレーニングすることでした。手術後は安静が必要なので、3週間は右腕を動かさないように固定具を装着していました。その3週間は本格的なトレーニングができないので、肩を動かさないようにステーショナリーバイク(自転車)を漕いだり、下半身の軽いストレッチング程度。術後6週間経過してから、少しずつヒジ周りや肩周りも動かし始めました。

この段階で行っていたのは、コーディネーショントレーニングというもので、筋力というよりも柔軟性や敏捷性、重心やバランス感覚を高め、身体全体のコントロール向上を目的としたものです。15~16種目やりましたが、ハードルやサイドステップに始まり、下半身から体幹を使うメニューが主でした。例えば半球形のバランスボールの上に片足で立つ。さらにストレッチポールという半円断面のカマボコのような筒の上で、スクワットを片足で行う。相当グラグラしますが、モトクロスではそのくらい不安定な状態でバランスを取る能力が要求されるのです。


第3戦レース前の山本選手
第3戦レース前の山本選手

そのほかのコーディネーショントレーニングとしては、SEBT(スター・エクスカーション・バランス・テスト)なども行いました。これは片足で立って、もう一方の足先を床に記された8方向(前後左右4方向+斜め45度4方向)に伸ばしてタッチするものです。そしてドットドリルは、サイコロの5の目状に配置されたドットの上をステップし、開脚と閉脚を繰り返すものですが、これを片足でケンケンする。さらにバランスボールをトランポリンのように用い、近くに置いた箱に飛び移るような運動も取り入れました。こういうトレーニングを1日2時間以上、週に3~4日は実施していました。私は週に1度指導するぐらいで、あとは山本選手が独自にジム通いをしていました。

ステーショナリーバイクでは、以前から行っているインターバルトレーニングを継続してやりました。90%ぐらいの力で3分間漕いだ後、1分間ゆっくりと流す。この3分+1分を4~5セットやるのが普通ですが、さらに100%で20秒漕いで10秒流すという課題も6セットやっていたので、有酸素性持久力のみならず無酸素性持久力も向上したはずです。モトクロスに要求されるのは、マラソンのように一定のペースで走り続けるスタミナではなく、もっと瞬発力を加味した持久力なのです。


開幕戦九州大会レーススタートの様子
開幕戦九州大会レーススタートの様子

そんなトレーニングを積み重ねながら、ようやくライディングを開始したのは、手術から10週間以上経過した2月中旬のことでした。ライディングというよりも、モトクロッサーに跨がってみただけと表現した方が正しいかもしれません。オフロードヴィレッジのファクトリーパドックの辺り、平らなところでゆっくりと8の字をやる程度でした。コースは走っていません。ジャンプもしていません。ハンドルを握っていた腕を引っ張られて肩を脱臼したわけですから、そういう状況になることは避けたい。慎重にマシンの感触やライディングフォームを確かめる程度の初乗りでした。

やがて迎えた3月5日の最終診察で、整形外科の先生からゴーサインをもらいました。医学的に肩は完治したので、これからは本気で乗っていいということなのですが、すぐに全開とはいかない。直後の菅生でのテストに合流したのでが、あまり乗れていなかったようです。ライディングのスキル面は、乗り込みを積み重ねて取り戻すしかありません。走りに関しては山本選手に任せているのですが、徐々に練習量を増やしていったようです。フィジカル的にはモトクロスができる身体にはなっていましたが、肩周りはここから解禁となったので、チェストプレス、ワンハンドローイングなど、ウエイトトレーニングで筋力を付けていきました。


開幕戦九州大会での山本選手
開幕戦九州大会での山本選手

3月24日には九州選手権に出場しました。2ヒートを走って、リザルトは20位/3位。決して本調子ではなかったものの、山本選手は3週間後の全日本開幕戦に対して手応えを感じ、密かに優勝を狙いにいっていました。当初の目算としては表彰台に立てたら上出来…ぐらいに思っていましたが、当人は3位でオッケーという雰囲気ではなかったんです。私自身は勝てるかどうか、半々ぐらいの気持ちでした。肩に痛みがありましたが、狭くなった関節の可動域をリハビリで広げてきたものの、筋肉が元の柔軟性を回復していないことが原因と考えられました。全体的なコンディションとしては、80~90%まで来ていたので、あとは乗れば乗るほど身体が慣れてくるはず。開幕戦までには確実によくなるだろうと読んでいました。

九州選手権後の事前テストでは、疲労が蓄積していることが明らかでした。シーズンオフの取り組みをつぶさに見てきたので、少し休養した方がいいという判断もできました。その後2日間はトレーニングを実施しましたが、1週間前からは徐々にライディングとトレーニングの量を減らしました。以前から採用しているテーパリングと呼ばれる方法で、レース前に身体を回復させることでコンディションを整えるのです。


開幕戦勝利に向けて鼓舞するメカニック
開幕戦勝利に向けて鼓舞するメカニック

こうして迎えた4月14日の開幕戦、山本選手はドライコンディションのヒート1、マディのヒート2ともにトップでフィニッシュし、カムバックを完全優勝で飾りました。3月5日にドクターの許可を得てから5週間であそこまで復活したことを驚く向きもありますが、直前の調整法には何も秘密はありません。むしろ3月5日までに身体を作り上げ、本格的な乗り出しに備えていた彼自身の努力が成功につながったのだと思います。


開幕戦の表彰式
開幕戦の表彰式