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佐藤琢磨の挑戦

Close-UP レーシングヒストリーPart1

日本人ドライバー記録を塗り替え 果敢に攻め続けたF1時代

2002年にジョーダンからデビューを果たし、2004年には日本人最高記録タイとなる3位表彰台を獲得。そして、ファンの記憶に残り続けているスーパーアグリ時代―。琢磨のF1での活躍を振り返る。

2001年イギリスF3で12勝をマークして、日本人として初のチャンピオンに輝いた佐藤琢磨。同年には、マールボロマスターズ、マカオGPと国際F3レースでも優勝を果たしており、その速さと強さにF1関係者も注目していた。そして、同年10月に日本で翌年ジョーダン・ホンダからF1デビューをすることを発表。ジョーダンは、琢磨が2000年に初めてF1をテストドライブしたチームであった。

こうして、2002年開幕戦オーストラリアGPでF1デビューを果たした琢磨だったが、順風満帆の滑り出しとはいかなかった。チームが資金不足に陥っており、テスト不足からマシン開発もうまく進まずに厳しい戦いを強いられてしまう。レースでもリタイアの連続と焦りが感じられたが、初めて迎えた母国グランプリ、鈴鹿・日本GPで5位に入賞。F1初ポイントを、多くの日本人ファンの前で獲得した。

F1デビューシーズンの2002年は、最終戦の日本GPで初入賞となる5位フィニッシュを果たして2ポイントを獲得した F1デビューシーズンの2002年は、最終戦の日本GPで初入賞となる5位フィニッシュを果たして2ポイントを獲得した

しかし、翌年はレギュラーシートを失いB・A・R・ホンダのリザーブ兼テストドライバーとして契約。チームのためにハードなテストをこなしていたが、最終戦でレース出場のチャンスが巡ってくる。レギュラードライバーのジャック・ヴィルヌーヴが欠場することとなり、急遽日本GPへの参戦が決定したのだ。そして、約1年ぶりのレース出場となった母国グランプリで6位入賞を果たす。鈴鹿サーキットで2年連続のポイント獲得となり、彼の活躍に多くのファンは熱狂した。

B・A・R・ホンダのリザーブドライバーであった2003年は、最終戦の日本GPに急遽出場することが決定。久しぶりのレースながら、6位入賞という結果をもたらした B・A・R・ホンダのリザーブドライバーであった2003年は、最終戦の日本GPに急遽出場することが決定。久しぶりのレースながら、6位入賞という結果をもたらした
日本人最高位タイの3位表彰台を獲得

2004年B・A・R・ホンダのレギュラードライバーに昇格した琢磨は、第7戦ヨーロッパGPでは予選2番手を獲得して日本人初のフロントロウからスタート。レースは残念ながらリタイアに終わるが、速さがあることを証明してみせた。この年は、第5戦スペインGP、第9戦アメリカGP、第13戦ハンガリーGPで予選3番手も3回獲得している。そのうちの一戦、第9戦アメリカGPはセーフティーカーが導入される荒れたレースとなり、琢磨も一時はポジションダウンしてしまう。だが、ここからオーバーテイクの連続で3位でフィニッシュ。鈴木亜久里が1990年の日本GPで3位入賞を果たして以来、14年ぶりとなる日本人表彰台を成し遂げた。最終的なドライバーズランキングは8位で、これが琢磨のF1最高成績となった。またチームは、フェラーリに次ぐコンストラクターズ2位を獲得した。

翌2005年は、前年の大活躍が嘘のような大苦戦が待ち受けていた。第2戦マレーシアGPはウイルス性の発熱で欠場することとなり、5位入賞でシーズン初ポイント獲得かと思われた第4戦サンマリノGPはマシンのレギュレーション違反で失格に。しかも、続く2戦の出場停止処分も下され、レース以前の問題が発生。結果、入賞は第13戦ハンガリーGPの8位のみと、獲得ポイントは1点だけにとどまった。

そして2006年は、元F1ドライバーである鈴木亜久里が立ち上げたスーパーアグリへと移籍。だが、新チームのためエントリー問題、スタッフ集め、活動資金、マシンの準備など問題が続出。マシンは4年落ちのアロウズがベースとなったため、レースでは厳しい戦いの連続であった。この状況下でも琢磨はめげず、ゼロからのチームを強くするためにスタッフを引っ張っていき、最終戦ブラジルGPでは10位でフィニッシュした。この結果は、翌年に向けた明るい材料となった。

チーム2年目となった2007年は、ニューマシンの登場で開幕戦オーストラリアGPでいきなり予選Q3進出を果たす。そして第4戦スペインGPでは、8位フィニッシュを果たしてチーム待望の初ポイントをもたらした。しかも第6戦カナダGPでは、6位入賞を果たしてチームの最高成績を更新。各チームのマシンが進化してきたシーズン後半になると入賞は厳しかったが、第11戦から最終戦まで7戦連続で完走した。

2004年アメリカGPが開催されたインディアナポリスでは3位表彰台に上がった 2004年アメリカGPが開催されたインディアナポリスでは3位表彰台に上がった
チーム消滅でも諦めず積極的に交渉を続ける

ようやくチームも軌道に乗ってきたように見えたが、翌2008年はシーズン開幕前にチームの資金難が発覚する。ぎりぎりまで参戦が危ぶまれていたが、チームはなんとか開幕戦にマシンを並べることに成功。しかし5月6日、チームオーナーの鈴木亜久里は都内で会見を行い、F1からの撤退を表明する。そのため琢磨は、第4戦スペインGPの13位がF1最後のレースとなってしまった。

スーパーアグリでの最高位は、2007年カナダGPの6位。チームスタッフとともに喜びを全身で表現していた スーパーアグリでの最高位は、2007年カナダGPの6位。チームスタッフとともに喜びを全身で表現していた

チーム消滅によりシートを失った琢磨のもとには、他のカテゴリーからのオファーがいくつもきたが、彼はあくまでもF1にこだわった。そのため、精力的にF1の各チームと交渉を行い、2008年のシーズン途中とシーズンオフにトロロッソのテストドライブの機会を得る。だが、計3回のテストに参加して好タイムをマークするが、チームから吉報が届くことはなかった。2009年シーズンのフル参戦は叶わなかったが、彼はF1の夢を諦めずにシーズン中も交渉を続けた。だが、シートを獲得できずに浪人状態に陥ってしまった。

全員一丸となって、ゼロからチームを作り上げたスーパーアグリでは8位と6位と2回入賞を成し遂げる。だがチームは、2008年のシーズン途中に消滅してしまった 全員一丸となって、ゼロからチームを作り上げたスーパーアグリでは8位と6位と2回入賞を成し遂げる。だがチームは、2008年のシーズン途中に消滅してしまった
F1参戦数:90戦 F1獲得ポイント:44点

※予選カッコ内の数字はグリッド
※決勝のRはリタイア

2002
  • ジョーダン・ホンダ
    • 獲得ポイント
    • 2点
    • ドライバーズランキング
    • 15位
Rd. グランプリ 予選 / 決勝
1 オーストラリア 22 / R
2 マレーシア 9 / 15
3 ブラジル 19 / 9
4 サンマリノ 14 / R
5 スペイン 18 / R
6 オーストリア 18 / R
7 モナコ 16 / R
8 カナダ 15 / 10
9 ヨーロッパ 14 / 16
10 イギリス 14 / R
11 フランス 14 / R
12 ドイツ 12 / 8
13 ハンガリー 14 / 10
14 ベルギー 16 / 11
15 イタリア 18 / 12
16 アメリカ 15 / 11
17 日本 7 / 5
2003
  • B・A・R・ホンダ
    • 獲得ポイント
    • 3点
    • ドライバーズランキング
    • 18位
Rd. グランプリ 予選 / 決勝
16 日本 13 / 6
2004
  • B・A・R・ホンダ
    • 獲得ポイント
    • 34点
    • ドライバーズランキング
    • 8位
Rd. グランプリ 予選 / 決勝
1 オーストラリア 7 / 9
2 マレーシア 20 / 15
3 バーレーン 5 / 5
4 サンマリノ 7 / 16
5 スペイン 3 / 5
6 モナコ 8(7) / R
7 ヨーロッパ 2 / R
8 カナダ 17(20) / R
9 アメリカ 3 / 3
10 フランス 7 / R
11 イギリス 9(8) / 11
12 ドイツ 9(8) / 8
13 ハンガリー 3 / 6
14 ベルギー 15 / R
15 イタリア 5 / 4
16 中国 9(18) / 6
17 日本 4 / 4
18 ブラジル 6 / 6
2005
  • B・A・R・ホンダ
    • 獲得ポイント
    • 1点
    • ドライバーズランキング
    • 23位
Rd. グランプリ 予選 / 決勝
1 オーストラリア 19(20) / 14
2 マレーシア 欠場
3 バーレーン 13 / R
4 サンマリノ 6 / 失格
5 スペイン 欠場
6 モナコ 欠場
7 ヨーロッパ 16 / 12
8 カナダ 6 / R
9 アメリカ 8 / R
10 フランス 5(4) / 11
11 イギリス 8(7) / 16
12 ドイツ 8 / 12
13 ハンガリー 10 / 8
14 トルコ 抹消 / 9
15 イタリア 5(4) / 16
16 ベルギー 11(10) / R
17 ブラジル 19 / 10
18 日本 5 / 失格
19 中国 17 / R
2006
  • スーパーアグリ・ホンダ
    • 獲得ポイント
    • 0点
    • ドライバーズランキング
    • 23位
Rd. グランプリ 予選 / 決勝
1 バーレーン 20 / 18
2 マレーシア 21(17) / 14
3 オーストラリア 21 / 12
4 サンマリノ 21 / R
5 ヨーロッパ 21(20) / R
6 スペイン 20(19) / 17
7 モナコ 19 / R
8 イギリス 20(21) / 17
9 カナダ 21(20) / 15
10 アメリカ 18 / R
11 フランス 22(21) / R
12 ドイツ 19(17) / R
13 ハンガリー 19 / 14
14 トルコ 22(21) / R
15 イタリア 21 / 16
16 中国 20(21) / 失格
17 日本 20 / 15
18 ブラジル 20(19) / 10
2007
  • スーパーアグリ・ホンダ
    • 獲得ポイント
    • 4点
    • ドライバーズランキング
    • 17位
Rd. グランプリ 予選 / 決勝
1 オーストラリア 10 / 12
2 マレーシア 14 / 13
3 バーレーン 17 / R
4 スペイン 13 / 8
5 モナコ 21 / 17
6 カナダ 11 / 6
7 アメリカ 18 / R
8 フランス 19(22) / 16
9 イギリス 21(22) / 14
10 ヨーロッパ 16 / R
11 ハンガリー 19 / 15
12 トルコ 19(17) / 18
13 イタリア 17 / 16
14 ベルギー 19(18) / 15
15 日本 21 / 15
16 中国 20 / 14
17 ブラジル 18 / 12
2008
  • スーパーアグリ・ホンダ
    • 獲得ポイント
    • 0点
    • ドライバーズランキング
    • 21位
Rd. グランプリ 予選 / 決勝
1 オーストラリア 20(19) / R
2 マレーシア 20(19) / 16
3 バーレーン 22 / 17
4 スペイン 22 / 13