モータースポーツ > インディカー・シリーズ > GO FOR IT! > vol.3
エドモントンのターン5、2番手を走る僕はライアン・ハンターレイに追突され、スピンを喫した。ハンターレイがブレーキングをミスし、タイアスモークを上げている様子がわかる。
前回に続いて第9戦から第13戦までを駆け足で振り返ってみよう。
カナダ・ストリートコース2連戦の緒戦となったトロント。ここでの週末はなにひとついいことがなかったように思う。つぎはぎだらけの路面の影響で、マシンの挙動はまったく安定せず、セッティングの方向性さえ満足に見つけられなかった。この結果、予選は19位。決勝でもレース序盤にダニカ・パトリックと接触し、マシンのリペアを行うためにピットで数分間を費やしてしまう。これで僕自身のレースは終わったも同然となった。その後も走り続けたのはあくまでもデータ収集のため。そしてタイヤを履き替えながら周回を重ねて20位でフィニッシュしたが、悔しいレースとなったことには変わりない。
エドモントンも、トロントと同じカナダ国内の市街地サーキットだが、その印象はまったく異なる。まず、空港の敷地を使ったコースは、昨年までとはまったく異なるレイアウトで新設され、誰にとっても白紙からのスタートだったこと。さらに、僕の所属するKVレーシング・テクノロジー・ロータスは決して市街地コースを得意とはしていないが、ここは路面もスムースでグリップ感が高く、今回はマシンの仕上がりも走り始めから感触が良かった。そして満を持して臨んだ予選では、インディカー・シリーズのキャリアで初めて、市街地サーキットでポールポジションを獲得することができたのだ。予選でのアタックはとてもエキサイティングなものだった。まず、最初のセッションをトップで通過。第2セッションではややセッティングを攻めすぎたために4番手と後退したが、再び微調整して臨んだ最終セッションのファイアストン・ファスト6では、ペンスキーやチップガナッシなどの強豪を退けてポールポジションを獲得できた。ちなみに、インディカー・シリーズのロードコースおよび市街地コースでは、ペンスキーのウィル・パワーが昨年のトロント以来、ほぼ1年間にわたってポールポジションを独占してきた。それを破っての予選制覇は格別に嬉しい。僕らは心の底から深い喜びに満たされた。
決勝でも、僕はホールショットを決めてトップで1コーナーに飛び込むと、首位の座を守ったままその後の18周を走り続けた。ところが、スタート直後は良好だったマシンのバランスが徐々に崩れ始めていく。クルマが曲がりづらいアンダーステア傾向がより悪化し、引きずられるように過大なスライドを強いられたフロント・タイヤの内圧はさらに上昇。つまり空気圧が高くなりすぎて、大幅にグリップを失ってしまったのだ。タイヤの空気圧というものは、走行を始めるとタイヤの温度上昇にともなって少しずつ上がっていき、あるところで安定する。今回の場合、スタート時点での内圧がやや高めだったのだが、この時点ではまだタイヤが冷えていたためにそれほど深刻な症状を引き起こさなかった。ところが、タイヤが温まるにつれて内圧はさらに上昇、ついにはバランスが良好な領域を超えてしまったため、ハンドリングが悪化したのである。接戦のトップグループを引っ張っていた僕は、堪えきれずにポジションを3つ落としたが、僕はまだ諦めていなかった。
次にフルコースコーションとなったとき、ピットストップの間にひとつ順位を落としたほか、ピットストップを行なわない“ステイアウト”という作戦を選んだドライバーがふたりいたため、僕は7番手となってコースに復帰した。けれども、序盤に僕のペースを鈍らせることになった内圧は、タイヤ交換で理想の値に合わせこんである。しかも、フルコースコーション後のリスタートは、順位を取り戻す絶好のチャンスだ。僕は全神経を研ぎ澄ませ、その瞬間を待った。
リスタート直後、1コーナーでは5台が横並びになる“ファイブ・ワイド”で激しいポジション争いが繰り広げられたが、こういうバトルだったら僕は絶対に負けない。ここで一気に2台を仕留めて3番手に浮上。さらに続くヘアピンでもう1台を交わすと、僕は2番手に返り咲いた。これでレース序盤の遅れは完全に帳消しになった。あとは念願の初優勝を目指し、トップを追うだけだ。
しかし、希望は無残にも打ち砕かれた。後方から追い上げてきたドライバーに追突され、スピンに追い込まれたからだ。しかも、ここでエンジンが止まったために再スタートに手間取り、トップから1周遅れのラップダウンとなってしまう。事故の原因を作ったドライバーにはペナルティが科せられたが、この遅れを最後まで取り返すことができず、僕は21位でチェッカードフラッグを受けた。
悔しい結果であることには間違いない。とはいえ、市街地コースでポールポジションを獲得し、トップチームのドライバーたちと互角の戦いを演じられたことは、大きな自信に結びついた。この経験を生かし、1日も早く栄冠をつかみ取りたいと、改めて心に誓った。
キャリアベストとなる4位入賞を果たしたミッドオハイオ。決勝前、レース展開に思いを巡らす僕を、チームオーナーのジミー・ヴァッサーがじっと見つめている。
昨年、予選で3位に食い込んだミッドオハイオは、僕のインディカー・デビューシーズンでもっとも強い手応えを感じた一戦だった。決勝は、ピットストップで給油ホースがクルマに届かないというとんでもないトラブルが起きて下位に埋もれ、再スタートではスコット・ディクソンとの競り合いでコースアウトを喫し、25位に沈み込んだが、そこまでの内容は決して悪くなかった。残念だったが、貴重な教訓を与えてくれた一戦だと思っている。
当然のことながら、今年も大きな期待を抱いてミッドオハイオに向かった。結果はインディカー・シリーズのキャリアで最上位となる4位だったが、決して手放しで喜べるような週末とはいえなかった。
たとえば、最初のフリープラクティスではマシントラブルのためたった1周しか走れなかった。予選では昨年とは別次元のハンドリングに苦しみ、9番手に終わったのに続き、予選後のプラクティスではセッティングの方向性を誤り、26番手に沈み込んだのだ。
そこまでの悪い流れを考えれば、決勝は満足のいくものだった。僕はタイヤと燃料を徹底的にセーブする作戦に打って出た。これによってライバルたちより1周長く走り続け、ここでスパートをかけてからピットストップを行うことで順位を上げていった。そして最後のリスタートではふたりのドライバーを仕留めて4位に浮上すると、そのままフィニッシュまで走り抜けた。
状況を考えれば十分に満足のいく成績だ。けれども、それはトラブルらしいトラブルに見舞われずに最後まで走り切れたから手にできたもので、エキサイティングなバトルを繰り広げた末に栄冠を勝ち取ったとか、そういう達成感が得られたわけではない。
そうはいっても、過去最上位の結果を残せたことは事実。この勢いを次戦以降のレースにつなげていくことが、いまの僕にはいちばん必要なはず。さらに上位を目指し、今後もひたすら走り続けていくつもりだ。