モータースポーツ > インディカー・シリーズ > GO FOR IT! > vol.2
専用のロードラッグ・パッケージを用いるインディアナポリスでは、他のオーバルコースよりもはるかにトップスピードが伸びる。4周の合計タイムで争う予選での平均速度は360km/hを上回る。
決勝日だけで40万人が集まる世界最大のスポーツイベント、インディ500。インディカー・シリーズという名がこの1戦にちなんでいることはいうまでもない。名実ともにシリーズ最大の1戦であり、ここで勝つことはシリーズ・チャンピオンに匹敵するほど価値がある。全長2.5マイル(約4km)の超高速オーバルコース、インディのみ使うことが許される特別な空力パッケージ、そして500マイル(約800km)というシリーズ随一のレース距離など、インディ500は他のレースとは大きく異なっている。初挑戦となった昨年は、様々なことに戸惑いながらも決勝は20位で完走。まずまずの手応えを掴んだ一戦となった。
もちろん、今年はそれ以上の結果を残そうと意気込んでいた。予選結果は10位。このリザルトをチームの誰もが喜んでくれた。決勝に向けたマシンの煮詰めは不充分だったが、これは長いレース中にある程度仕上げていくことができる。「今年もじっくり戦っていこう」 昨年の経験を踏まえ、そんなふうに考えていた。
しかし、200周で競われるレースは、たったの20周で幕切れを迎えてしまった。オーバルレースでは“スポッター”と呼ばれるスタッフの起用が義務付けられている。300km/hを優に越える速度でレースが進行していくオーバルでは、加減速を繰り返すサーキットとはまるで違うドライビングが要求される。超高速域を常に維持するため、他車との速度差はほとんど生まれない。つまり、何台ものマシンが非常に接近した状態で連なって走行するのだ。フォーミュラーカーの後方視界には死角も多く、他車がそのポジションで走行を続けた場合、スポッターからの情報無くしてその位置関係を知る術はない。接近戦でのレーンチェンジは非常に危険なため、僕らはスポッターからの情報を頼りにライバルの位置関係を把握しながらレースを進める必要があるのだ。つまり、ドライバーに成り代わって後方を監視する彼らは、ある意味で僕らの“目”と同じくらい重要な存在。前方は自分の“目”で見て、左右と後方はスポッターの“目”で見る。
このスポッターに、僕は本当に恵まれていた。みなさんお馴染みのインディカー・ドライバーであるロジャー安川選手が、僕のスポッター役を務めてきてくれたからだ。しかし、インディ500ではコースが大きいため、ふたりのスポッターが必要になる。昨年、ロジャーと組んでくれたのは、昨シーズンの後半、KVRTのチームマネジャーを務めていたニック。彼とロジャーが力をあわせてくれたから、昨年は初挑戦のインディで完走を果たすことができた。
しかし、今年のスポッターとは思うようにコミュニケーションを図ることができなかった。これが原因で、後ろから迫るマシンに気づくのが遅れ、僕はコントロールを失い、ウォールと接触、リタイアに追い込まれてしまった。
自分とぴったりと息の合うスポッターを探すことがどれほど大切でどれほど大変か、今年のインディ500では学ぶことができた。この経験を今後に結びつけることが、いまの僕にはいちばん大切なのだろう。
インディカー・シリーズではイベントのプロモーター(興行主)がレースのフォーマットを決めることができる。第6戦テキサスのプロモーターは、この点において非常に意欲的だった。まず、1イベント2レース制としたうえで、これを土曜日の夜に立て続けに行なうことにした。これだけならまだよかった。ところが、通常どおりに予選を行なってスターティンググリッドを決める第1レースとは対照的に、第2レースのスターティンググリッドはなんとくじ引きで決めることになった。意外なドライバーを上位グリッドからスタートさせ、思わぬ波乱を引き起こそうとしたのだろうが、これはあまりに人工的な演出だ。遅いドライバーをただ抜くだけであれば、通常のレース中に周回遅れをパスするのと変わらない。そこから緊張感は生まれないだろう。本当にエキサイティングなのは、実力の拮抗したドライバーたちが死力を尽くして繰り広げるバトルに他ならない。その点、テキサスのプロモーターは勘違いをしていたようだ。
もっとも、僕にとっての第1レースは最高に内容の濃いものとなった。予選結果は4位。これはオーバルコースでは過去最高の成績である。決勝でもペンスキーのドライバーと抜きつ抜かれつを演じた末に5位フィニッシュ。予選よりひとつ順位を落としたのは残念だったが、上位グリッドからスタートし、トップチームとクリーンで熾烈なバトルをして、入賞を果たすという、ある意味、これまでの念願がかなう格好となった。これは本当に嬉しいことだった。
続く第2レース。僕は最後尾に近い25番グリッドをクジで引いてしまう。あとは、そこから追い上げて12位でフィニッシュ。正直、僕にとってはあまり意味を見いだせない1戦となってしまった。
伝説のショートオーバル、ミルウォーキー。昨年はインディカー・シリーズに組み込まれなかったため、僕にとっては初体験のコースとなった。その予選で僕は5番グリッドを手に入れた。テキサスの第1レースに続く好成績といえる。ところが、決勝は苦しい展開となったうえ、ピットロードでのアクシデントのためペナルティを科せられてしまう。その経緯は、次のようなものだった。
僕がピット作業を行なう場所(これをピットボックスという)の手前には、こんもりと盛り上がった“丘”のような部分があった。そこを真っすぐ突っ切ろうとすればマシンの底を打つことにもなりかねない。それほどの“丘”が、いわばピットロードの真ん中にあったのだ。信じられないような話しだけれど、本当のことである。そこで僕はこの丘を避けるようにしてピットボックスにアプローチすることにした。
レース中にフルコーションが出たときも、僕はこの丘を迂回してピットボックスに入るつもりだった。ところが、この丘が近づいたとき、直前を走るドライバーが僕の目の前を横切るようにして自分のピットボックスに飛び込んでいった。これを避けようとしたところ、僕は勢い余って他のドライバーのピットボックスに進入してしまう。そこでKVRTのメカニックたちが僕を救い出すために駆けつけてくれたのだが、その後、自分のピットボックスを目指す段になって、すでにピットロード上に置かれていたタイヤと、タイヤを抱えたままピットボックスに戻ろうと走っていたKVRTのメカニックに挟まれる形となり、僕は行き場を失う。その直後、メカニックが持っていたタイヤと僕のマシンが接触、彼は転んでしまった。このようなアクシデントを起こすと、ドライバーには無条件でペナルティが科せられるのがインディカー・シリーズのルールである。僕もその対象となってドライブスルー・ペナルティを受け、トップから1周遅れになってしまう。
これで上位入賞は絶望的になった。しかし、チームの戦略が図に当たり、何度目かのフルコーションで僕はトップと同一周回に返り咲き、最終的に8位でフィニッシュすることができた。幸い、メカニックにケガはなかったが、僕にとってはまたもや残念な結果に終わったといえるだろう。
昨年は3番手を走行中に不運なアクシデントに巻き込まれたアイオワ・スピードウェイ。今年はついにポールポジションを獲得したが、2番手を走行中のレース終盤にコントロールを失ってリタイア。オーバルレースの難しさを改めて思い知らされることになった。
昨年は3位を走行中にアクシデントに遭い、リタイアに追い込まれたアイオワ・スピードウェイ。今年、このアイオワで開催された第8戦で、僕はインディカー・シリーズでは初となるポールポジションを手に入れた。もともと自分が得意としているコースという側面はあったが、今回は走り始めから調子がよく、いつもはコンサバティブなアプローチを好む僕のエンジニアも、このときばかりは積極策に打って出ることに同意してくれた。そして、プラクティスではいつも以上に入念に予選シミュレーションを行なってから公式予選に臨んだ。
アイオワのラップタイムは1周が18秒ほどと極端に短い。しかも、予選タイムの計測が始まるまでは、アウトラップを含めて1周半しかない。いきおい、アウトラップとその次の周をいかに速く駆け抜け、どれだけしっかりタイヤをウォームアップできるかが、これに続く2周のタイムアタックの成否を左右することになる。とはいえ、ギリギリまでダウンフォースを減らした予選セットアップ、しかも冷えきったタイヤで最初から全速力で走るのは非常にリスキーだ。でも、そのリスクを冒さなければ好結果は期待できない。僕は思い切って全力でアタックした。結果的に、僕のウォームアップラップは全ドライバーで最速だった。これでタイヤが温まり、残る2周は安定したペースで走行、念願だったポールポジションを獲得できた。実は、アタック中の1周だけを見れば僕より速いドライバーはいた。でも、2周の合計タイムでは僕が最速だった。つまり、安定したペースでマシンのパフォーマンスをフルに引き出して勝ち取ったポールポジションだったといえるだろう。
決勝は午後3時のスタート。夕暮れ時に始まって日が沈む頃にフィニッシュするスケジュールだ。当然、レース中に気温はどんどん下がる。この気温の低下が、僕の完走を阻む遠因となったしまった。
この日もチップガナッシやペンスキーといったチームのドライバーたちと存分にバトルを楽しみながら、僕はトップグループを走行していた。レース終盤、アクシデントのないクリーンな周回が続く。こうなると他のドライバーがレーシングスピードで走行している最中にピットインを行なわなければならなくなる。この場合、素早くピット作業を終え、できるだけアウトラップを速く走行することが、いつも以上に重要になる。
ピットを終えた僕は、慎重に、でもできる限りのペースでアウトラップを走り切った。もっともアクシデントを起こしやすいのは、いちばんタイヤが冷えた状態で走るアウトラップだ。これをどうにか切り抜けたことで、少しだけプレッシャーは軽くなった。とはいえ、まだタイヤが完全に温まったわけではない。次の周回も注意しながら走行した。
そして2周目も無事クリア。アクシデントが起きたのは、この次のラップだった。アイオワのターン2には悪名高きバンプ(路面の盛り上がり)がある。この日のレース中に起きたアクシデントは、すべてこのバンプが引き金となっていた。そのくらい危険なポイントなのである。そして3周目にこのバンプを通過したとき、マシンの底面とバンプが接触。ボディの下側を流れる気流が途絶えたことでダウンフォースが瞬間的に激減し、僕はコントロールを失い、ウォールと接触してしまったのだ。
なぜ、それまでは問題のなかった場所でアクシデントが起きたのか? 原因は複合的なものだった。ひとつの理由はタイヤがまだ最大限のグリップを発揮できるまで温度が上がっていなかったこと。そしてそれは同時にタイヤの内圧が上がりきっていないことも意味する。つまり、マシンの車高を維持するのが困難な状態にあったわけだ。しかし、それはここに至るまでの再三に渡る再スタートでも条件は同じなはず。ではなぜコントロールを失ってしまったのか。車高が沈むことに拍車をかけてしまったのは、じつは日が落ちたことで気温が下がったことに起因する。このため空気の密度が高まり、結果的にダウンフォースが増大。もちろん、ダウンフォースが増大することはグリップの向上に繋がるわけだから本来は大歓迎なのだが、マシンを路面に押し付ける力が増えたことで車高が下がり、マシンの底面が路面と接触しやすくなったのだ。もっとも、車高が下がったといっても、ミリ単位の話しである。時には0.1mmの違いが致命的なアクシデントを引き起こしてしまう。それほどインディカーでは微妙なセッティングを行なっているのだ。また、給油を行なった直後の3周目といえば、タンクのなかにはまだ燃料がたっぷりと残っている。この重さで、マシンが沈み込んでいたことも影響してしまった。つまりこれらすべてを把握して最大限のペースアップをしなくてはならない。オーバルレーシングは本当に繊細で奥が深いのだと改めて思い知らされたわけだ。
いずれにしても、僕にとってはまたひとつ教訓が増えた。その代償は大きかったが、そうやってひとつずつ学んでいく以外にインディカー・シリーズで頂点に立つ方法はない。KVRTのチームメイトで、ベテランドライバーのトニー・カナーンがレース後に教えてくれた。「あのバンプは本当に厄介だよな。俺も、あそこでコントロールを失い、3年連続でリタイアに終わったことがあるんだ」 そのアドバイス、できればスタート前に聞きたかった!