モータースポーツ > インディカー・シリーズ > GO FOR IT! > vol.1
スタート直後には予想どおりクラッシュが起きたが、こんなことに巻き込まれるわけにはいかない。僕は慎重に混乱を避けた。
2011年、僕のインディカー・シリーズ参戦が2シーズン目を迎えた。
アメリカでのルーキー・イヤーとなった昨年、開幕前にステアリングを握れたのは実質2日間のテストだけだったが、僕は事前に可能な限りの情報を手に入れ、充分に準備を整えてからインディカー・シリーズに挑んだつもりだった。シーズン序盤は多少の苦戦を強いられるかもしれないという覚悟はしていたものの、それなりの自信と野心があったことも事実。しかし、“聞く”と“戦う”とでは大違いで、結果的には、様々な初体験と失敗を重ねながら新大陸でのレースに心と身体を馴染ませていくことになった。
たとえば、後ろから迫ってきたドライバーに抜かされないよう、相手の動きにあわせて自分の進路を変更する“ブロック”がルールで禁止されていることは、実際にインディカー・シリーズを戦って初めて知った。300km/h以上のスピードでバトルを繰り返すオーバル・レーシングでは、不意な動きは即接触に結びつきかねないので、ブロックが禁止されるのはある意味で当然かもしれない。オーバルコース以外でもこのルールが適用されるのは意外だったが、これが結果的により多くの追い越し(オーバーテイク)を可能とし、ファンにとってエキサイティングなレース展開を実現しているという側面がある。コース上の追い抜きが極端に難しいフォーミュラーカーのレースで、これほど多くのバトルが見られるのは、インディカー・シリーズならではの魅力といえるだろう。
もうひとつ特徴的なポイントとして、全ドライバーが基本的に同じマシーンを走らせるとともに、そのマシーンを調整する作業(セッティング)のレベルが非常に高いことが挙げられる。正直、インディカー・シリーズを戦うイタリア・ダラーラ製のシャシー(車体)はもう何年も前に設計されたものだし、技術的に目新しいものはない。サスペンションや車体の部分的な変更はレギュレーションで許されているが、各チームが白紙の状態からデザインし、オリジナルのマシーンを作り上げるF1の世界とは大きく異なっている。F1では各チーム間に大きなスピード差が生まれるが、インディカー・シリーズではマシーンの性能差は拮抗し、時として小さな所帯のチームでもトップチームを脅かすレース展開に発展することも珍しくない。例えばラップタイムひとつを例にとってみても、F1が1000分の1秒までを計測するのに対し、インディカーではなんと10000分の1秒まで計測するのだ。
なぜ、インディカー・シリーズはこのようなスタイルをとっているのか? それは、シリーズを主催するIRL(インディ・レーシング・リーグ)の思想が明確で、もっとも大切なものはマシーンの技術ではなく、ファンの立場で面白いと思えるレース作りにあると考えているからだ。実際、どれくらいレースがエキサイティングかは、テレビで見ていただければすぐにわかると思う。抜きつ抜かれつのバトルがいたるところで繰り広げられ、最後まで誰が勝つかわからないレース展開は、他のレースでは滅多に見られない、インディカー・シリーズを始めとするアメリカンレーシング特有のものだろう。
僕が慣れ親しんできたヨーロッパのモータースポーツとは、多くの部分で異なっているインディカー・シリーズ。しかし、昨年一年間で僕は本当に多くの経験を積み、そしてたくさんのことを学んだ。所属するKVレーシング・テクノロジーとは2年目の付き合いになるけれど、彼らもこの冬の間、昨年の課題を克服すべくチームの実力を懸命に磨いてきた。新たなステージを迎えた僕のインディカー・シリーズ挑戦。その戦いの一部始終を、再び僕のコックピットからお届けしよう!
最後のスティントで投入したタイヤは意外にも残り20周で急激にグリップがダウン。最後の最後まで気の抜けない展開となった。
開幕戦の舞台はフロリダ州セントピーターズバーグの市街地コース。インディカー・シリーズでは、楕円形のシンプルなサーキットでハイスピードバトルが延々と続くオーバルコース、日本やヨーロッパでお馴染みの常設式ロードコース(パーマネント・サーキット)、そしてF1モナコGPのように市街地の一般公道を使った市街地コースの3種類が用いられる。2011年に開催される全17戦のうち、もっとも多いのはオーバルコースで8戦、続いて多いのは市街地コースの6戦で、ロードコースは3戦しかない。つまり市街地コースのウェイトは思いのほか高いのだ。ただし、F1の市街地コースとは大違いで、アメリカは路面の整備を過度に行わないのでかなりデコボコしているし、コーナーごとに舗装は異なるし、ドライバーたちは信じられないほどアグレッシブだしで、とてもワイルドなレースとなることが多い。
セントピーターズバーグがまさにそれで、メインのストレートは空港の滑走路を使っているせいもあり、コースを1周する間に路面の舗装が3回も変わる目まぐるしさ。しかも、開幕戦となればレースが荒れるのは必至だ。
開幕戦の日程は3月25〜27日の3日間。その2週間前の3月11日、東日本大震災が起きた。被災地から時々刻々と状況が伝えれるにつれ、計り知れないあまりの被害の大きさに胸が張り裂ける思いだった。被災者の方々は言葉では言い表せない苦痛を経験され、未だ先の見えない不安な状態が続いている。僕は、共に戦うインディカー・ドライバーやIRLの協力を取り付けて「With you Japan」という被災地支援プログラムを立ち上げるとともに、日本ではレーシングドライバー脇阪寿一さんを中心とする「SAVE JAPAN」とも連携をとりながら、支援活動を行なっていくことにした。
「With you Japan」は子どもたちを支援するプロジェクト。この震災で大きな恐怖を感じ、どれだけ多くの子どもたちが身寄りをなくし深く傷ついていることだろう。街が復興して暮らす場所が戻ってきたとしても、子どもたちはこの震災で受けた悲しみを一生背負って生きて行かねばならない。自分にできることは本当に小さなことかもしれないけど、でも、できることならば、その子どもたちに夢と希望と元気を送り届けたい。かつて自分もレースを見て、大きな夢をもらったように。 そして、インディカー・シリーズを戦う日本人として、アメリカに被災地の現状を伝え、支援を求めていくこと。それが、今の僕にできることなのではないかと考えている。
では、開幕戦はいかにして戦うべきか。トップを目指し、ひとつでも上の順位でフィニッシュすること。これは絶対条件だろう。チャレンジしなければ、見ている人に夢も感動も与えられない。もっとも、ギリギリの戦いは僕がいちばん好きなところで、放っておいても、いや誰かに止められたって攻め続けないわけにはいられない性分だ。だから、この点は心配要らない。
それとともに、いや、ひょっとするとそれ以上に大切なのは、力強く戦いながらも確実にフィニッシュすることだ。だから、ひとつでも上を狙いながらも、必ず最後まで走り切ることを目標にして、僕は開幕戦に臨むことにした。
ところで、前述のとおり、開幕戦はドライバーの意気込みが先走りしてアクシデントが多発する、いわゆる荒れたレースになる可能性が高い。いっぽうで、僕は絶対にこのアクシデントに巻き込まれないように気をつけなければならない。決勝は11番手からのスタート。もっとも混戦で密集しているポジションではあるが、ここから頑張るしかない。僕は期待に胸を高鳴らせてスタートの時を待った。
案の定、スタート直後に多重アクシデントが発生した。これを予想していた僕は慎重にアクシデントを回避し、6番手までポジションを上げることに成功する。その後は積極的に攻め続けたが、フルコーションとその後に続くリスタート(再スタート)のたびに、僕は順位を落としてしまうことになる。
フルコーションとは、レース中にアクシデントが起きて事故車の撤去作業やコースの清掃作業が必要になった場合、ペースカー先導によるスロー走行に切り替え、競技を一時的に中断させることをいう。当然、この間は追い越し禁止だ。そして作業が終わった段階でリスタートとなるのだが、今年からこのリスタートをさらにエキサイティングなものにするため、これまでの1列縦隊(シングルファイル)から2列縦隊(ダブルファイル)にマシーンを整列させる体制に改められた。そのほうが全体がコンパクトにまとまり、リスタート直後に激しい競り合いになると期待されたからだ。
ただし、ダブルファイルの場合、コースのイン側に並ぶかアウト側に並ぶかによって有利・不利が生じる。通常、レーシングカーが走るライン上はホコリが払われて路面がきれいな状態に保たれているのに対し、ラインを外れた部分はホコリや摩耗したタイヤカスのせいで滑りやすくなっているからだ。イン側とアウト側のどちらが有利になるかはコースによって変わるが、フルコーションとなったときに先頭を走っていたドライバーには、次のリスタートでイン側とアウト側のどちらかを選ぶ権利が与えられる。セントピーターズバーグではイン側が圧倒的に有利だったので、先頭のドライバーは必ずイン側を選んだ。すると2番手のドライバーはアウト側、3番手はイン側、4番手はまたアウト側と並んでいくのだが、今回はこのイン側とアウト側の差が激しく、アウト側のドライバーは必ずといっていいくらい順位を落とす羽目になった。
もっとも、自分がイン側に並ぶかアウト側に並ぶかは、確率でいえば1/2の割合であり、したがって計算上は、何度かこれを繰り返すうちに誰にとっても公平な状況になるはずだった。ところが僕は今回、不運にもフルコーションとなったときは、いつも偶数順位だったのだ。そのため、リスタートのたびに順位を落とし、レース中にこれをまた抜き返す羽目に陥ってしまったのだ。