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Hondaへの期待
 インディカー・シリーズの主催者は、レースにかかる費用をできるかぎり削減して多くのチームが参入できるようにするとともに、レースを限りなくイコール・コンディションに近い状況で行なうことによって、接戦の多いエキサイティングでスリリングなレースを観客に提供するという理想のため、多くの厳格なルールと制限を設けている。
 したがって、インディカー・シリーズにエンジン・サプライヤーとして参加するHonda、トヨタ、シボレーにも、エンジンを開発する上で様々な細かい規制が課されている。全チームが3.5リッター自然吸気V8エンジンを使用するということに留まらず、スペックは多くの共通点を有する。
 ボアストローク(燃焼室口径)は最大93mm、エンジン重量は最低295ポンド(133.65kg)、エンジンの全長は22〜22.5インチ(55.88〜56.90cm)までと厳しく規定されている。インテーク・チェンバーも、エアフィルターも、エンジンマウント・システムでさえも共通のものを使用することが義務付けられている。

 シャーシこそ、ダラーラ、パノスGフォース、ファルコン(MKレーシング)の3つのサプライヤーが制作したものの中から選べるものの、サイズや製作に必要な素材などは厳格に指定されている。加えて、トランスミッションはXTRACの6速シーケンシャル・ギアボックス、タイヤはファイアストンのものを使用することが義務付けられている。
 F1などと比べると、驚くほど多くのものを共用することになる。そういう条件であるがゆえに、チームの力こそが他に差をつける決定的な要因となる。2003年からエンジン・サプライヤーとして参入したHondaが、インディカー・シリーズで一度も闘ったことのない新開発のエンジンで挑んだのは事実だが、多くのレーシング関係者にとって、どういう状況にあってもHondaはHondaである。CARTで比類なき強さを発揮し、多くのドライバーズ・チャンピオンを生み出し、数々の栄光を勝ち取った輝かしい記録を誇るレース界の雄である。多くの有力チームがHondaの開発した新しい自然吸気V8エンジンを使いたいと申し出たことに不思議はない。

 そして、2003年にHondaエンジンを搭載して戦ったその有力チームとは?

 アンドレッティ・グリーン・レーシングは、人気ドライバーのマイケル・アンドレッティがCARTを去り、インディカー・シリーズに移籍するにあたって買収したチーム・グリーンを改名したもの。ダラーラのシャーシにHondaのV8を搭載して戦った。CART時代の20年間に42勝という輝かしいレース・キャリアを誇るマイケル・アンドレッティにとって、唯一の心残りは一度もインディ500で勝ったことがないことだ。2003年5月25日のインディ500限りで現役引退したアンドレッティは、この伝統の一戦で優勝して引退に華を添えたいと願っていた。彼が引退したあとは、ルーキーのイギリス人ドライバー、ダン・ウェルドンがチームに参加した。
 アンドレッティがインディカー・シリーズに移るにあたって連れてきたのが、ダリオ・フランキッティとトニー・カナーンという2人の実績のあるベテラン・ドライバーである。チーム・グリーンに所属していたスコットランド生まれのフランキッティはCARTで10勝している。ブラジル人レーサーのカナーンはCARTで有力チームのひとつだったモー・ナンのドライバーで、CART時代には、2003年からインディカー・シリーズのスケジュールに組み込まれたミシガン・インターナショナル・スピードウェイのハイ・バンク・コースで行なわれたレースで勝利した貴重な経験を持っている。

 このチームが活躍することはほぼ間違いなかった(編注:アリゾナ州フェニックスで行なわれたインディカー・シリーズ第2戦ピューレックス・ダイアル・インディ200は、見事ポール・トゥ・フィニッシュでトニー・カナーンがインディカー・シリーズ初優勝を飾った)。

 アンドレッティ・グリーン・レーシングと同じく人気の高いチーム・レイホールも、CARTから今年インディカー・シリーズに移籍した組で、これまたダラーラのシャーシにHondaのエンジンという組み合わせでレースに臨んだ。チームを率いるのはインディ500のウィナーでもあり、CARTでドライバーズ・タイトルも獲得したボビー・レイホールで、ドライバーは1人。インディカー・シリーズでレース・デビュー、1998年にインディカー・シリーズ・チャンピオンに輝き、1999年にはインディ500を勝ったケニー・ブラックである。CARTでもHondaとともに闘ったレイホールにとって、インディカー・シリーズでもHondaと組むことは当然の選択だった。

 Hondaエンジンで闘う第3のチームがスーパーアグリ・フェルナンデス・レーシングである。元F1ドライバー、鈴木亜久里がCARTドライバーのエイドリアン・フェルナンデスと組んで結成したチームで、Honda V8を搭載したダラーラのシャーシに乗るのは若き日本人ドライバー、ロジャー安川。
 その上最初の数レースの結果次第では、インディ500の直前に駆け込みでHondaのエンジンを求めてくるチームやドライバーが出る可能性も大いにあった。
 2003年からインディカー・シリーズに挑戦したHondaに何が期待されたか?という問題だが、2月に行なわれたインディカー・シリーズ恒例の「テスト・イン・ザ・ウェスト」の結果は、Hondaエンジンのポテンシャルの高さと、インディカー・シリーズで間違いなくデッドヒートが繰り返されるであろうことを如実に語っていた。

 LAの近くにあるフォンタナのカリフォルニア・スピードウェイでのテストでは、トヨタ勢が1位、2位を占め、3位がトニー・カナーン、4位がダリオ・フランキッティであった。トップ10ドライバーは全員時速220マイル(約355km)以上を記録した。
 ドッグレッグの変則コース・レイアウトを持つフェニックス・インターナショナル・レースウェイ(約1.6km)で行なわれたその次のテストでは、ダラーラ-Hondaを駆るトニー・カナーンが最高時速176.7マイル(約285km)を記録してトップ、他のHonda勢はケニー・ブラックが5位、フランキッティが8位、アンドレッティは10位だった。
 Hondaとトヨタが激しく争うであろうことは事前に予測されたことであるから少しも驚きはないが、シボレー・エンジンを搭載したチームはどうしたのかと思った人もいたに違いない。シェビー・エンジンを駆る去年のシリーズ・チャンピオン・ドライバー、サム・ホーニッシュでさえ、フェニックスでのテストで10位以内に入れず、シェビー・エンジン勢の最高位がフォンタナでの12位という状態にあった。
 シーズンも始まり、予想通り、エンジン対エンジンの戦いはますますヒートアップしていった。

 そしてついに「インディ・ウィーク」と銘打った4月5日〜4月13日、待望のインディサーカスが日本にやってくる。ツインリンクもてぎで、アメリカ国外で初のインディカー・レースが開催されたのだ。
 「コースは充分に広く、サイド・バイ・サイドのエキサイティングでスリリングな戦いが展開されると思う」
 ツインリンクもてぎでのテスト走行直後のインタビューで、世界最速の女性ドライバー、サラ・フィッシャーはこう予言した。
 2002年のインディカー・シリーズでは、ほぼ毎回エキサイティングでスリリングなレースが展開された。そして2003年、Hondaの参入によってシリーズはさらにヒートアップし、もっともっとエキサイティングでスリリングなシーズンになった。(終わり)
(写真は2003年時のもの)
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