佐藤琢磨 日本Takuma Sato

チーム : Rahal Letterman Lanigan Racing
生年月日 : 1977年1月28日
出身地 : 日本(東京都)
身長・体重 : 164㎝・59kg

佐藤琢磨

佐藤琢磨

1977年生まれ。東京都出身。少年時代に鈴鹿サーキットでF1世界選手権を観戦し、F1ドライバーになる夢を抱くと、大学に進学してから鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を受講しました。その後、2000年にはヨーロッパへと渡り、イギリスF3への出場を開始。02年に念願かなって、Jordan Hondaのドライバーとして、F1世界選手権へのデビューを果たしました。テストドライバーとしての一年を挟み、08年の途中まで、B・A・R Honda、SUPER AGURI F1 TEAMでF1グランプリを戦い続ける中で、04年のアメリカGPで日本人ドライバーとして歴代最高タイとなる、3位という成績を残しました。

インディカーへの参戦は10年にスタートし、11年にはオーバルコースのアイオワ・スピードウェイで日本人初となるポールポジション(PP)を獲得。エドモントン・シティセンター・エアポートの特設ロードコースで2度目のPPを手にしました。12年シーズンには、ブラジル・サンパウロのストリートコースで初表彰台となる3位。エドモントンでは当時のキャリアベストとなる2位フィニッシュを果たしました。インディ500では優勝争いを演じ、そこでみせたファイティングスピリットは、アメリカの多くの人を魅了しました。A.J.フォイト氏も関心を示し、13年、佐藤琢磨はA.J. Foyt Racingに移籍すると、チームとしても日本人ドライバーとしても初のインディカーでの優勝を、ビッグレースのロングビーチで果たしました。14年は、セント・ピーターズバーグとデトロイトのレース2でPPを獲得しました。15年シーズンは、チームの体制強化が実現。デトロイトのレース2では13年以来となる表彰台を獲得するなど、総合14位となります。16年の最高位は4位、総合17位でシーズンを終えました。

Andretti Autosportに移籍した17年は、し烈なバトルの末にINDY500を日本人として初制覇。18年は、Rahal Letterman Lanigan Racingに移籍し、ポートランドでは予選20番手からの大逆転でキャリア3勝目を飾りました。19年はアラバマではポールトゥウインを達成したほか、シーズン2勝、4回の表彰台獲得で総合9位となりました。20年はインディ500の予選で3番手となり日本人初のフロントローグリッドを獲得すると、決勝は序盤からレースをリードし続けたライバル選手を残り15周でパスし、2度目のINDY500制覇を成し遂げました。第8戦ゲートウェイのレース1でも2位表彰台獲得するなど活躍し、総合では自身ベストの7位となりました。

21年は、INDY500での3度目の勝利とシリーズチャンピオンの座を目指します。

主な戦績

2020 インディカー・シリーズ 7位
2019 インディカー・シリーズ 9位
2018 インディカー・シリーズ 12位
2017 インディカー・シリーズ 8位
2016 インディカー・シリーズ 17位
2015 インディカー・シリーズ 14位
2014 インディカー・シリーズ 18位
2013 インディカー・シリーズ 17位
2012 インディカー・シリーズ 14位
2011 インディカー・シリーズ 13位
2010 インディカー・シリーズ 21位
2008 F1世界選手権 21位
2007 F1世界選手権 17位
2006 F1世界選手権 23位
2005 F1世界選手権 23位
2004 F1世界選手権 8位
2003 F1世界選手権B・A・R Honda サードドライバー
F1世界選手権 最終戦 6位
2002 F1世界選手権 15位
2001 イギリスF3選手権 チャンピオン
マカオF3 優勝
F1世界選手権B・A・R Honda テストドライバー
2000 イギリスF3選手権 3位
1999 イギリスF3選手権 ナショナルクラス 3勝
1998 全日本F3選手権 参戦

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