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インディカー・シリーズ

A.J. フォイト・レーシングA.J. Foyt RacingDRIVERS

インディ500で史上最多となる4度の勝利を挙げた最初のドライバーである、A.J.フォイトが発足させたチームです。彼は歴代最多の67勝をインディカーで挙げているだけでなく、世界三大レースとして知られるル・マン24時間耐久レースでも優勝しています。また、アメリカのストックカーで最大のレース、デイトナ500でも勝利しており、まさに伝説のドライバーと呼ぶにふさわしいキャリアを誇っています。1992年で現役を退いたフォイトですが、A.J. Foyt Racingは96年にスコット・シャープ、98年にケニー・ブラックをインディカーのシリーズチャンピオンの座に就けており、ブラックは99年にインディ500での優勝も果たしています。

近年では2代目であるラリー・フォイトがチームの陣頭指揮を執っており、2013年には佐藤琢磨が第3戦ロングビーチで優勝しました。2002年以来となる勝利でした。ほとんどのチームがインディアナ州インディアナポリスにワークショップを構える中、A.J. Foyt Racingは今もテキサス州ヒューストン郊外を本拠地としています。15年シーズンは2台体制で戦います。

佐藤琢磨

佐藤琢磨#14
Takuma Sato

1977年生まれ。東京都出身。少年時代に鈴鹿サーキットでF1世界選手権を観戦し、F1ドライバーになる夢を抱くと、大学に進学してから鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を受講しました。その後、2000年にはヨーロッパへと渡り、イギリスF3への出場を開始。02年に念願かなって、Jordan Hondaのドライバーとして、F1世界選手権へのデビューを果たしました。テストドライバーとしての一年を挟み、08年の途中まで、B・A・R Honda、SUPER AGURI F1 TEAMでF1グランプリを戦い続けた琢磨は、04年のアメリカGPで日本人ドライバーとして歴代最高タイとなる、3位という成績を残しました。

インディカーへの参戦は2010年にスタートし、11年にはオーバルコースのアイオワ・スピードウェイで日本人初となるポールポジション(PP)を獲得。エドモントン・シティセンター・エアポートの特設ロードコースで2度目のPPを手にしました。12年シーズンには、ブラジル・サンパウロのストリートコースで初表彰台となる3位フィニッシュ。エドモントンではキャリアベストとなる2位フィニッシュを果たしました。インディ500では優勝争いを演じ、そこでみせたファイティングスピリットは、アメリカの多くの人を魅了しました。そして13年、琢磨はA.J. Foyt Racingに移籍。チームとしても日本人ドライバーとしても初めて、インディカーでの優勝を、ビッグレースのロングビーチで果たしました。14年シーズンも同チームからエントリーし、セント・ピーターズバーグとデトロイトのレース2でPPを獲得しました。

A.J. Foyt Racingでの3シーズン目となる15年シーズンは、チームメートを迎えて体制強化が実現しており、キャリア2勝目、そしてさらに勝利を重ねることを目標に掲げています。

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ジャック・ホークスワース

ジャック・ホークスワース#41
Jack Hawksworth

1991年生まれ。イギリス出身。2004年、13歳の誕生日を迎えた2週間後にレーシングカートのジュニアカテゴリーのレースに初出場。2013年にはインディ・ライツにフル出場しました。インディカーへの登竜門であるチャンピオンシップでも、ホークスワースはすぐさま頭角を現し、デビュー戦のセント・ピーターズバーグで初優勝。トロントとボルチモアでは、ポールポジションからファステストラップを記録して勝利しました。ルーキーイヤーにしてストリートコースで3勝を挙げ、シリーズランキング4位となったホークスワースには、インディカーのテストを行うチャンスが3チームから与えられ、Bryan Herta Autosportのシートを獲得。14年に早くもインディカーへのステップアップを果たしました。インディカーでもデビューイヤーながらスピードを発揮し、グランプリ・オブ・インディアナポリスでは予選で2位となり、ヒューストンでのレース2では初表彰台となる3位フィニッシュを果たしました。15年はA.J. Foyt Racingに移籍。佐藤琢磨と同じチームで、キャリア初勝利に向けて戦います。

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