生年月日 | 1987年5月4日 |
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出身地 | スペイン |
ロードレース世界選手権の参加資格年齢になるのを待ち、2002年第3戦スペインGPで125ccクラスにデビューしました。フル参戦初年度となった03年には、ブラジルGPで初勝利を挙げ、ポイントランキング12位に。“por fuera”ロゴもこのシーズンに生まれました。04年はシーズン3勝を飾り、ランキングでも4位と大幅に順位を上げました。
翌05年から250ccクラスにステップアップ。Hondaと初めて契約を結び、Fortuna Hondaから挑んだシーズンは6回の表彰台を獲得し、総合5位で終えました。06年は所属チームがマシンを変更し、開幕戦スペインGPで中排気量クラスでの初優勝を飾ると、全16戦中8勝を挙げてチャンピオンとなりました。翌07年にはチャンピオン連覇を達成し、中排気量クラスで最も成功したスペイン人ライダーの立場を確立しました。
最高峰のMotoGPクラスには、08年から参戦。開幕戦カタールGPでポールポジションを獲得して2位に入ると、第3戦ポルトガルGPで最高峰クラス初勝利をつかみます。その後のレースで度重なる転倒やケガもありましたが、総合4位でシーズンを終えました。09年は最高峰クラスでの初タイトルにあと一歩届かず、ランキング2位。翌10年は開幕戦カタールGPから12戦連続で表彰台を獲得する活躍をみせ、最高峰クラスで初のチャンピオンに輝きました。11年は、オーストラリアGPで負傷した指の手術や残りレースの欠場もあり、連覇はかなわずランキング2位に。そして、12年は全18戦中6勝を挙げ、2位が10回、リタイアはわずか2レースという圧倒的な強さをみせて、チャンピオンの座を奪還します。13年と14年もMotoGPクラスの王者争いを繰り広げますが、13年は総合2位、14年は総合3位となりました。15年は最終戦バレンシアGPで逆転タイトルを獲得し、通算3回目となる最高峰クラス制覇を達成しました。
16年からはチームを移籍し、シーズン4勝でランキング3位につけましたが、17年は苦しいシーズンとなり、表彰台登壇はわずか3レースのみ。世界選手権にフル参戦してから初めて一勝も果たせずに終わります。18年はチームのホームグランプリで勝利を決めますが、シーズン後半のタイGPのケガで3戦を欠場するなど、苦楽をともなう年となりました。
19年はRepsol Honda Teamに加わり、14シーズンぶりにHondaのバイクを駆って世界選手権に挑みます。チームメートはマルク・マルケスとなり、最高峰クラス王者の2人体制となったRepsol Honda Teamでの好結果を誓います。
2002 | 世界選手権デビュー(125cc) |
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2006 | 世界選手権 250cc チャンピオン |
2007 | 世界選手権 250cc チャンピオン |
2009 | 世界選手権 MotoGP 2位 |
2010 | 世界選手権 MotoGP チャンピオン |
2011 | 世界選手権 MotoGP 2位 |
2012 | 世界選手権 MotoGP チャンピオン |
2013 | 世界選手権 MotoGP 2位 |
2014 | 世界選手権 MotoGP 3位 |
2015 | 世界選手権 MotoGP チャンピオン |
2016 | 世界選手権 MotoGP 3位 |
2017 | 世界選手権 MotoGP 7位 |
2018 | 世界選手権 MotoGP 9位 |