株式会社ホンダ・レーシングがRSC(1973年に本田技研工業と別会社として設立)、およびNRテクノロジーグループに代わり設立される。
伝説の技術者である入交昭一郎が初代代表取締役に就任。
3気筒のNS500が誕生。
7月のベルギーGPでNSに乗ったFreddie Spencerがホンダ史上初となる2ストロークでのGP勝利を獲得。
Cyril Nevueがパリ・ダカールにてホンダ史上初勝利。
Eddy LejeuneがRTL360で初の世界トライアル選手権を獲得。CB900Fに乗った飯嶋茂男、萩原伸治が鈴鹿8時間耐久レース(台風の影響で6時間に短縮)で日本人ペアとして初優勝。
モトクロス用プロリンクリアサスペンション、カートリッジタイプのフォークを開発。
天才Freddie Spencerが、まさにHRC理念を具現化したとも言うべきオールラウンドレーサーNS500で、ホンダ史上初となるGP500ワールドチャンピオンを獲得。
NS500で、ATAC排気システムを開発。
キングオブザロードことJoey DunlopがRS850R(V4 4ストローク)でTTF1ワールドチャンピオンを獲得。
NS500をベースとした市販GPレーサーRS500の販売を開始。
吉野浩行が入交の後を継ぎ、代表取締役に就任。
試験的に吊り下げ式フューエルタンクを採用したシングル・クランクV4エンジンNSR500を新規投入、負傷していたFreddie SpencerがGP500ワールドチャンピオンシップで4位を獲得。
RS750Rは、ホンダ4ストロークの天才Gerard CoudrayとPatrick Igoaに世界耐久選手権での勝利を確固たる物にする。
Mike BaldwinとFred Merkelは鈴鹿8時間耐久レースの勝利を、Joey DunlopはTTF1の栄冠を獲得。
Andre Malherbeは自身2度目となる500 ccクラスモトクロスワールドチャンピオンを獲得。
Eddy Lejeuneが世界トライアル選手権でハットトリック達成。
Ricky Grahamが、ホンダ史上初となるUSグランドナショナルトラックのタイトルを獲得。
1985年はFreddie Spencerとホンダにとって、NSR500と新型VツインエンジンNSR250による250/500 ccクラスのダブルタイトル獲得という輝かしい1年となった。
さらにSpencerはスーパーバイクVF750Fにより、デイトナ200マイルに勝利。
新型RVF750はGerard CoudrayとPatrick Igoaに世界耐久選手権の栄冠、Joey DunlopにTTF1タイトルを、Wayne Gardnerと徳野政樹に鈴鹿8時間耐久レースの勝利をもたらす。
Mike Baldwinとホンダは4度目のUS F1タイトルを引き続き獲得。
英国チャールズ皇太子、ダイアナ皇太子妃が公式訪問時に、新築された東京青山のホンダ本社においてHRCレース車をご覧になる。
後藤勇がHRC代表取締役に就任。