HRCの歴史

1982年

株式会社ホンダ・レーシングがRSC(1973年に本田技研工業と別会社として設立)、およびNRテクノロジーグループに代わり設立される。
伝説の技術者である入交昭一郎が初代代表取締役に就任。
3気筒のNS500が誕生。
7月のベルギーGPでNSに乗ったFreddie Spencerがホンダ史上初となる2ストロークでのGP勝利を獲得。
Cyril Nevueがパリ・ダカールにてホンダ史上初勝利。
Eddy LejeuneがRTL360で初の世界トライアル選手権を獲得。CB900Fに乗った飯嶋茂男、萩原伸治が鈴鹿8時間耐久レース(台風の影響で6時間に短縮)で日本人ペアとして初優勝。
モトクロス用プロリンクリアサスペンション、カートリッジタイプのフォークを開発。

1983年

天才Freddie Spencerが、まさにHRC理念を具現化したとも言うべきオールラウンドレーサーNS500で、ホンダ史上初となるGP500ワールドチャンピオンを獲得。
NS500で、ATAC排気システムを開発。
キングオブザロードことJoey DunlopがRS850R(V4 4ストローク)でTTF1ワールドチャンピオンを獲得。
NS500をベースとした市販GPレーサーRS500の販売を開始。
吉野浩行が入交の後を継ぎ、代表取締役に就任。

Honda NS500(1982年) / Freddie Spancer サンマリノ表彰台(1983年)Honda NS500(1982年) / Freddie Spancer サンマリノ表彰台(1983年)

1984年

試験的に吊り下げ式フューエルタンクを採用したシングル・クランクV4エンジンNSR500を新規投入、負傷していたFreddie SpencerがGP500ワールドチャンピオンシップで4位を獲得。
RS750Rは、ホンダ4ストロークの天才Gerard CoudrayとPatrick Igoaに世界耐久選手権での勝利を確固たる物にする。
Mike BaldwinとFred Merkelは鈴鹿8時間耐久レースの勝利を、Joey DunlopはTTF1の栄冠を獲得。
Andre Malherbeは自身2度目となる500 ccクラスモトクロスワールドチャンピオンを獲得。
Eddy Lejeuneが世界トライアル選手権でハットトリック達成。
Ricky Grahamが、ホンダ史上初となるUSグランドナショナルトラックのタイトルを獲得。

1985年

1985年はFreddie Spencerとホンダにとって、NSR500と新型VツインエンジンNSR250による250/500 ccクラスのダブルタイトル獲得という輝かしい1年となった。
さらにSpencerはスーパーバイクVF750Fにより、デイトナ200マイルに勝利。
新型RVF750はGerard CoudrayとPatrick Igoaに世界耐久選手権の栄冠、Joey DunlopにTTF1タイトルを、Wayne Gardnerと徳野政樹に鈴鹿8時間耐久レースの勝利をもたらす。
Mike Baldwinとホンダは4度目のUS F1タイトルを引き続き獲得。
英国チャールズ皇太子、ダイアナ皇太子妃が公式訪問時に、新築された東京青山のホンダ本社においてHRCレース車をご覧になる。
後藤勇がHRC代表取締役に就任。

1986年

片持ちスイングアームを採用したRVF750がPatrick Igoaに耐久選手権タイトルを、GardnerとDominique Sarronに鈴鹿8時間耐久レースのタイトルをもたらす。
VFR750ライダーFred MerkelがUSスーパーバイクでハットトリックを達成。
英国人ライダーDavid Thorpeが自身2度目となる500MXタイトルを獲得、ホンダは上位3位を独占。
オーストラリア人ライダーWayne Gardnerが負傷したFreddie Spencerからバトンを受け、NSR500でGP500ワールドチャンピオンシップ2位を獲得。

Cyril Neveu パリ・ダカール 1987年 Honda NXR750 / Honda RC30 スーパーバイク 1988年Cyril Neveu パリ・ダカール 1987年 Honda NXR750 / Honda RC30 スーパーバイク 1988年

1987年

ホンダの2ストロークテクノロジーがGPレース界を席巻、Wayne Gardnerが7勝してGP500のタイトルを獲得、ドイツのベテランライダーToni MangがNSR250でGP250のタイトルを獲得。
コンピューター制御の可変エキゾーストバルブを開発。
楕円ピストンを採用したハイテクノロジーの結晶NR750レーサーがルマン24時間に参戦、ポールポジションを獲得。
新進気鋭カリフォルニアのWayne RaineyがVFR750でUSスーパーバイク、デイトナ200マイルで勝利。
Eric Geboersがホンダ史上初となる250MXでの成功を収める。
ダートトラックの伝説Bubba ShorbertがRS750DでUSグランドナショナルトラックにおいてハットトリックを達成。
福井威夫がHRC代表取締役に就任。

1988年

ホンダはローコストの2ストロークエンジンRS125でGP125レースに復帰。
Ezui GianolaがGPで2勝し、125チャンピオンシップで2位を獲得。
スペインの英雄Sito PonsがNSR250で、初めて2回連続で250ワールドタイトルを獲得。
HRCは電子制御2ストローク燃料噴射システムの開発を開始。
陽気なアメリカ人Fred Merkelは、非常に高い評価を受けたV4スーパーバイクRC30で発足したばかりのスーパーバイクワールドタイトルを獲得。
イギリスのプライベーターCarl FogartyがRC30でTTF1の栄冠を獲得。Freddie Spencerが500GPを引退。
Eric GeboersとJean-Michel Bayleが500MXと125MXの両タイトル獲得の活躍。
市田勝巳が代表取締役に就任。

David Thorpe / David Thorpe MX500 ベルギー 1989年 Honda CR500MDavid Thorpe / David Thorpe MX500 ベルギー 1989年 Honda CR500M

1989年

スムーズライディングマスターEddie Lawsonがホンダに加入、NSR500でGP500ワールドチャンピオンシップを獲得。
ホンダはGP250で10度目となるコンストラクターズワールドチャンピオンシップを獲得。
Merkel、FogartyとRC30はワールドスーパーバイク、TTF1タイトルを引き続き獲得。
プライベーターJohn AshmeadはRC30でデイトナ200に勝利。
フランス人ライダーDominique SarronとAlex Vieiraは、RVF750で鈴鹿8時間耐久レースに勝利。
Jilles LalayはNXR750でパリ・ダカールに4連勝し、過酷な条件下でのホンダパワーの優位性を立証。
Jean-Michel BayleとDavid Thorpeが250MX、500MXのタイトルをそれぞれ獲得。
福井威夫が再び代表取締役に就任。