アメリカ、イリノイ州ジョリエットにあるシカゴランド・スピードウェイ(全長1.5マイル)で行われた2007年IRL IndyCarシリーズ(IRL)最終戦。武藤英紀はアメリカ最高峰のオープンホイール・チャンピオンシップにデビューを果たして、予選13番手から8位でフィニッシュして見せた。ベテラン・ドライバーが数多く参戦するIRL IndyCarシリーズでルーキーが活躍するのは至難の業だ。しかし、武藤はレースを戦う中でIndyCarによるバトルを素早く身につけ、トップ・グループの真っだた中でも高い戦闘力を発揮する堂々とした走りを披露して好成績を手に入れた。
武藤は、レーシング・カートで戦ったあとにイギリスへと渡った。「海外で通用するドライバーになる」という意思を強く持ち、武者修行に出たのだ。その後日本に戻り、フォーミュラドリームでタイトルを獲得。全日本F3選手権、フォーミュラ・ニッポン及びSUPER GTへとステップアップしてきた。海外でレースを戦うのは初めてではないものの、アメリカン・レースはまったく新しいチャレンジであった。アメリカで武藤が走ることになったチームは、松浦孝亮も所属するスーパーアグリ・パンサー・レーシングだ。
武藤は、アメリカで自らが見せたパフォーマンスによってIRL出場のチャンスをつかんだ。同シリーズにはIndyProシリーズ(IPS)という名の登竜門シリーズがあるが、武藤は初めてのフル・シーズン参戦で2回の優勝、同じく2回のポールポジション獲得を果たして、シリーズ・ランキングで2位となった。オーバル・コースで行われるアメリカ独特の高速レースをIPS参戦で着々と身につけた結果だ。シーズン半ばにはIndyCarでのテスト走行の機会に恵まれ、そこで見せたドライビング・スキル、フィードバック能力も高く評価され、IndyCarデビューにゴー・サインが出されたのだった。
IPSではドライバーだけでなく、エンジニア、さらにはチームまでもがレベルアップを図り、最高峰であるIRLへのステップアップを目指している。IPSはエンジン、シャシー、タイヤのすべてがワンメイクとされ、F1アメリカGPの舞台となるインディアナポリスのロードコースを除いてインディカーと同じサーキットを使って開催される。2007年は16レースがスケジュールされ、そのうちの7レースがオーバル・コースで開催された。
アメリカで生まれたオーバル・レーシングは、マシンの限界に近い高速を保ち続けてバトルを行うものだ。そこでは目に見えない空力の影響が大きく働く。前方を走るマシンが気流を乱すのはもちろんのこと、左右や後方を走るマシンも空気の流れを動かす。常に空力的影響を受け続けるマシンを操るドライバーたちには、高度のコントロール能力が要求される。また、速度の高いことで路面コンディションの変化、風向きや風の強さまでもがマシンのハンドリングに大きな影響を与える。オーバルで速く走るためには、経験から得られるノウハウと独特のセンスが求められるわけだ。一見すると豪快に見えるオーバル・レースだが、実際にはマシンの動きを感知する極めて繊細なフィーリングなしには戦えないものなのだ。
開幕を前に武藤はIPSマシンのテストを重ね、3月にフロリダ州マイアミ郊外で行なわれたオーバル・コースでの開幕戦に備えた。そして、初戦にして予選3番手/決勝3位というすばらしいパフォーマンスを見せた。大きなアクシデント発生によってレースは大半がペースカー先導による走行となったが、優勝を狙える位置につけ続けて上位フィニッシュを達成した。その後も武藤はアメリカのレース、IPSのレースにすばらしい順応ぶりを見せ続け、メカニック、そしてレース・エンジニアとの間に強い信頼関係を築き上げた。
ミルウォーキーの1マイル・オーバール、武藤はスタート直後にスピンを喫する失敗を犯した。しかし、それもまた経験として彼の体の中にしっかりと蓄積された。
そして6月15日、武藤とスーパーアグリ・パンサー・レーシングは、インディアナポリスで行われたF1アメリカGPのサポート・レーで初のポールポジションを獲得し、翌日には初優勝を記録した。シーズンも後半に入った8月、ケンタッキー州スパータのケンタッキー・スピードウェイ(全長1.5マイル)で行なわれた第13戦、武藤はオーバル初勝利をやはりポールポジションからのスタートで飾って見せた。登竜門シリーズのIPSといえども、オーバル経験なしに参戦し、初年度から好成績を挙げることは難しい。武藤のライバルたちは、少なくとも1シーズンの経験を持っていた。
IPSのランキング上位につけるドライバーたちのレベルは高く、どのサーキットにおいても高度な戦いが繰り広げられた。そうした戦いを続ける中で、武藤はオーバル・レースの戦い方、セオリー、マナーといったものを身につけていった。そして、それらはインディカーのレースで役に立つものばかりだった。 |