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 1930年代に入ると、ドイツ政府のバックアップを受けたメルセデス・ベンツやアウトウニオンに加えて、BMWなどのドイツ勢がサーキットを席倦することになる。社会的には決して明るい時代ではないが、自動車技術の面からは、それまでとは比較にならないほどの進化を遂げた時代でもある。今回、ダイムラー・クライスラー・グループが持ち込んだのは、「メルセデス・ベンツW125」(1937年)と「W154」(1939年)、アウディは「アウトウニオン タイプC」(1936年)と「タイプD」(1938年)だ。メルセデス・ベンツの「W125」は、当時最強といわれたGPマシンで、646馬力を発揮する5・6リッターの直列8気筒DOHCエンジンを搭載していた。最高速度は計算上では時速433kmを超えたが、当時の貧弱なタイヤがこの高性能に追いつけず、結局本当の性能の数分の一で走らなければならなかったという。アウトウニオンは「タイプC」と「タイプD」の両車共に、あのフェルディナンド・ポルシェが直接設計に関わったマシン。歴史上初めてミッドシップ・エンジンを採用して成功を収めたグランプリ・マシンとしても有名。1930年代後半のサーキットは、この2社が生み出すマシンが大活躍し、イタリアやフランスのマシンは歯が立たなかった。
 
 そしてHondaのグランプリ・マシンは、1964年8月2日にニュルブルクリンクで行われたドイツGPに、新開発のRA271(1.5リッター、V型12気筒DOHCエンジン)をもってグランプリ・デビューとなった。ドライバーはアメリカ人のロニー・バックナムだったが、12周目にサスペンションを破損してコースオフを喫し、リタイアしてしまう。苦いデビュー戦となったが、1965年からF1と同時進行で進められたF2では、ブラバム製シャシーにHonda製1.0リッター、直列4気筒DOHCエンジンを載せ、参戦一年目こそ、未成熟のために苦戦を強いられたが、翌1966年にはドライバーに昨年に引き続きジャック・ブラバムと、新たにデニス・ハルムを擁して快進撃を続け、実に11連勝という前人未到の大記録を打ち立てた。そのF2エンジンの直接の設計者であるHondaの元社長川本信彦も会場に姿を見せ、旧知の仲間たちとの楽しい時間を過ごしていた。
 今回Hondaは1967年のモンツァ・サーキットで行われたイタリアGPで、ジョン・サーティースのドライブで優勝したRA300と1968年に3.0リッター・フォーミュラの下で開発されたRA301を持ち込んだ。ドライバーはRA300はもちろん、ジョン・サーティースその人、そしてRA301の方は現役F1ドライバーのアンソニー・デビッドソンと、ホンダ・レーシング・F1チームのスポーティングディレクターであるジル・ド・フェランの2人がステアリングを分け合う。いつものことながら、御歳72歳になるサーティースが、現役のドライバーと互角以上の走りを見せていたのには驚かされる。

1936年 アウトウニオン タイプC 1938年 アウトウニオン タイプD
1967年 RA300 1968年 RA301

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