「フェラーリでF1チャンピオンになったが、その後シーズン途中で政治的な問題が起きてチームとの関係が悪化し、フェラーリを離脱することになった。その時、他にも選択肢があった中でHondaを選んだのは、二輪から四輪へ来たというバックグラウンドが自分と重なり合うという点に興味をひかれたからなんです。特に、Hondaのモーターサイクルでの成功の軌跡には以前から注目していたし、まさに新しいチャレンジをする場として最高の機会だと思いました。
他チームのように経験値のない分、すべて新しく一緒につくっていくという作業は、まるで新しい家族に迎えられたかのような気分で、本当にモチベーションの高まるものでした。私は、日本の国旗がデザインされたマシンに乗れたことを素晴らしいことだと思います。日本を代表するというHondaの姿勢に対しても誇りをもっていたし、ナショナリズムの象徴だと思ったので、もっともっと他の国もナショナリティーを主張するカラーリングをすればいいのに・・・とさえ思っていたものです」
サーティースにとっては遠い国であるはずの日本からやってきたHondaのF1チームに加わって、彼は何を感じたのだろう。
「自分が当時Hondaと共に経験してきたことを思い出しながら、現在のHondaという会社を見て、Honda哲学を改めて知ることになりましたね。Hondaはレースに出てその技術力を証明することにより、最終的にHonda車を購入したいという意思に導く、という方針を常に視野に入れていたのだと思います。モータースポーツというフィールドの中で、ただレースマシンの技術面をひけらかすだけではなく、その技術を常に将来に向けて継続的に伝えていくために、エンジニアの育成にも力を注いできました。