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第1話でご紹介させていただいたように、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの主催者であるチャールズ・マーチ卿が、Honda青山の本社を表敬訪問された。その際、このフェスティバルに対する想い、またHondaについてインタビューさせていただいたのでここにご紹介したい。 ――グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードはどのような想いで開催されたのですか このフェスティバルは、祖父がグッドウッドに建設したサーキットを復活させる事業を進めていくなかで、レーシングマシンに対する情熱と興奮が再び私のなかでよみがえったことによって始まったと言えるでしょう。 そして、レーシングマシンの走りを慈しむ貴重な経験を、私と同じようにレーシングマシンを愛する多くのみなさんと分かち合いたくなり、フェスティバルの開催を考えたのです。そのアイデアの中に、グッドウッド・ハウスの前にヒルクライムコースを作るというものもあったわけです。 ![]() ――毎回趣向を凝らしていらっしゃいますね フェスティバルでは、毎回その年のテーマを決めていまして、そのテーマによっていろいろなレーシングマシンが出展されることになります。したがって、会場に足を運んだ方々は、毎回さまざまなレーシングマシンに出会うこととなります。フェスティバルが毎年同じようなものになることはありません。 2005年のテーマは「Racing Colours - National Pride and Culture」(レーシングカラーズ 〜国の誇りと文化)です。 簡単に言うと、たとえば「何がイタリアのクルマをイタリア車らしくさせたのか」、「何がメルセデスをドイツ車らしくさせたのか」、「何が日本のクルマを日本車らしくさせたのか」ということ。つまり、それぞれのクルマのDNAは何なのか?ということが今回のテーマなのです。このテーマにより、2005年のフェスティバルは、みなさんが生まれてから一度も見たことのないようなクルマをグッドウッドという1つの場所で見ることができる、素晴らしい機会となることでしょう。 ――今回、Hondaがホスト役になることについて一言ご感想を Hondaは、1993年にこのフェスティバルが始まった時からずっと、素晴らしいサポートをし続けてくれました。他にも最初の年から参加している会社はありますが、Hondaは私たちにとって最も長きにわたるパートナーであり、とても素晴らしく思います。 ![]() ――最後に、Hondaに対する印象をお聞かせください Hondaに関する私の初めての記憶は、40年前にHondaが初めてF1グランプリに参戦したときですね。祖父がそのレースで活躍するHondaのマシンを見て「このレーサー(マシンのこと)たちを見てごらん!」と言ったのです。 以来、Hondaは継続してモータースポーツに関わってきました。それがHondaの歴史です。Hondaは常に全てのモータースポーツに意識を集中させていました。 そして最も素晴らしいのは、Hondaはモータースポーツを愛しており、長きにわたってレースを続けているということです。Hondaという会社の本質は、まさにモータースポーツそのものなのだと思います。 そうしたHondaの姿勢は、Honda車を愛する人たちに色濃く反映されているのではないでしょうか。Hondaのクルマを愛する人たちは、運転が大好きな人たちなのだと思います。クルマに興味があり、またエキサイティングであることを知っていて、運転することは彼らの人生の一部なんでしょうね。実に素晴らしい関係だと思います。 ●マーチ卿からみなさんへのビデオメッセージ |
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