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ブラジルGPでのRA108は、その前2戦と比べればかなりよかった。レースでは、納得のいくラップタイムを刻めたし、来季につながるいいパフォーマンスだった。ポイントは取れなかったけれど、シーズンの締めくくりとしてはよかったのではないかな。
その最終戦、出だしはあまりよくなかった。金曜日の最初のセッションで電気系統のトラブルが発生して、ガレージで過ごすことが多かったから。でも、なんとかリカバーして、予選までにはマシンのバランスもよくなった。1次予選では、ラップごとにタイムを縮めていたのだけれど、2度目のアタックのとき、4コーナーでわずかなミスをしてしまい2次予選に進めなかった。結局17番手スタートだ。
レースでは、スタート直前に雨が降ってグリッドがとても滑りやすくなっていた。それでもいいスタートが切れて、1周目の終わりには14位まで順位を上げた。その後、レースはタイヤの見極めの勝負になった。最初の課題は、乾いてきた路面に合わせていつドライタイヤに換えるのか。僕は7周目にピットに入った。そして63周目にまた雨が降り始めた。タイヤ交換が必要だ。ではどのレインタイヤにするか。僕らが選んだのはエクストリームウエット。豪雨を予想したからだ。でもそうはならず、3周後にまたピットインしてノーマルのウエットタイヤに取り換えた。このストップが響いて順位を下げてしまい13位でフィニッシュとなった。
今季を最後に友人のデビッド・クルサードがF1を引退する。それで、レースの後もサンパウロに残り送別会をした。ヨーロッパへ戻ったのは月曜の夜だ。ここ数カ月、遠征続きだったから、モナコの自宅に戻れてホッとした。
さて、前回のコラムは日本GPまでだった。その後のことを話そう。レースの後、クルマで東京に向かい、2日ほどこの街を楽しんだ。Honda Racing F1 Teamに入ってからの6年間、何度も東京で過ごしてきたけれど、そのたびに新しい発見がある。今回は、友達の案内でまたいくつか新しい場所を見つけた。中心街の小さなレストランで昼食をとったのだけれど、この地域をよく知っている地元の人と一緒でなければとても見つけられないような所だった。
富士の翌週には中国GPがあったから、10月15日水曜日には東京から上海へ飛んだ。その午後、少し泳いで、夕方からは英国のメディアと会食。黄浦江を見下ろす席でテーブルを囲みいろいろな話をした。リラックスした雰囲気で楽しい夜を過ごした。
しかし、上海でのレースは、あまり楽しいものではなかった。RA108はグリップ不足で、予選ではいいタイムが出せなかった。18番手からスタートし16位でフィニッシュ。がっかりだ。
上海に滞在中は、ホンダ中国のPRイベントがいくつかあった。2回目のイベントには、300人以上が集まっていた。聞かれた質問の内容からすると、中国の人たちは、F1の難しい部分も理解し始めているようだ。F1にとってはうれしいことだ。浦東国際空港でも似たようなことがあった。ものすごい数のファンが、ドライバーのサインをもらおうと待ち構えていたのだ。
中国から英国に戻り、基金集めのイベントに参加した。10月22日水曜日、エルトン・ジョン・エイズ基金のイベントで、とても楽しかった。
その後モナコに戻り、トレーニングをしてブラジルでの最終戦に備えた。インテルラゴスは、今季3つしかない反時計回りのサーキットの中の1つだ。首の左側にはキツイ。だから、71周の激しいレースに首が耐えられるようがんばって鍛えた。
レースに向けて、火曜日にブラジルに入った。ヨーロッパ中央部とは時差が3時間しかないから、時差ぼけもなく、最初の夜からよく眠れた。今回、ここで僕が最初に参加したのはインテルラゴスでのレースではない。水曜の夜、チームの皆とカートを楽しんだのだ。レースは、3ヒート25人で始まった。最終的にはルーベンスと僕の一騎打ちになり、ルーベンスの勝利。でもこれは、絶対、母国レースのアドバンテージだ!
最終戦でポイントを稼ぐことはできなかったけれど、ここでもチームとしてはいい仕事ができたし、RA108の性能を最大限引き出したと思う。2009年、もっといいマシンができればトップ争いに食い込めるはずだ。
最後に、新しくワールドチャンピオンになったルイス・ハミルトンにおめでとうと言いたい。でも、ルイス、気を抜くなよ。来年は僕もやるからな。