バトンは、1コーナーでの接触がすべてでしたね。ピットに入ってノーズ交換したあとも、バージボードに損傷を負っていて、マシンバランスが狂ってしまっていました。そのため、予想したペースで走ることができませんでした。そして最後には、5コーナーで佐藤選手(SUPER AGURI F1 TEAM)に追突されて、マシンを止めました。一応、完走扱いにはなりましたが。
バリチェロの方は、あれだけの悪天候でしたからね。レースが早期に終わる可能性、あるいはもう一度セーフティカーが導入される可能性を考慮して、1回目のピットインの際に、全周回数の75%程度まで走れる燃料を積みました。そのままチェッカーまで走りきれれば、ポイントが獲得できる。そう踏んでの、一種の賭けでした。その時点での順位は、かなり後方でしたからね。
途中まではその目論見通り、7番手まで順位を上げられました。そのままいけば、2ポイント獲得でした。でもレースは最後まで行われ、アロンソ(マクラーレン)の事故でセーフティカーが再度入りましたが、その時間は短かったです。そのため残り7周で、給油のためにピットに向かわざるを得ませんでした。
−もし賭けではなく、通常の燃料を積む作戦でいっていたら、どうでしたか?
スタート直後から20周、セーフティカー走行が続きましたからね。あれで2回ストップ作戦に対する、1回ストップ作戦の優位がいっぺんに吹き飛んでしまいました。ですから、一か八かあの作戦に賭けるしかなかったわけです。
−雨の予選で、バトンは速さを見せてくれました。メカニカルグリップに限れば、RA107の戦闘力はトップに引けを取らないということなんでしょうか。
ドライ路面で、がっぷり四つで戦っていたら、話にならなかったでしょう。でもウエット路面を浅溝タイヤで走ったあの予選は、いつもと状況が違っていましたね。空力的な不利が、走行速度が落ちることでかなり目立たなくなりました。最高速は依然として遅いのに、トップからコンマ数秒落ちのペースで走れたのは、コーナーでタイムを稼いでいたことになります。それで相対的な位置関係が、上がったわけです。具体的には立ち上がりのトラクション性能とか、コーナリング中のグリップなどですね。そのアドバンテージが雨のレース本番で生かせなかったのは、本当に残念でした。
【プロフィール】 田辺 豊治(たなべ・とよはる)
1960年5月12日生まれ、東京都出身。
1984年Honda入社。入社直後の1年間を除き、常にF1、CARTなどのレース現場の第一線で活躍。
現在は、ホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)レーステストマネージャー兼ジェンソン・バトン担当エンジンエンジニア