ジェンソン・バトン ダイアリー 2007
3月

 フランスGPで、僕はホンダ・レーシング・F1・チームの今季初ポイントを挙げた。その後だっただけに、英国GPでは10位よりもっと上にいけると感じていた。RA107は、ハイスピードコースのシルバーストーンに合っていると思ったし。でも結局、GPの初めから終わりまで、マシンのハンドリングが思い通りに決まらなかった。
 一番大きな問題は、リアエンドが安定性を欠くこと。バンプと風の状態が合わさってこれが引き起こされるのだけれど、そうなるとマシンはものすごく操りづらくなる。なぜそんな風になるのか早く突き止めて、このトラブルを止めなければいけない。
 前回のコラムはカナダGPまでだったが、そのあとの数週間は忙しかった。インディに入ったのは、水曜日の夜。アメリカは、重要な市場だからPR活動もたくさんあった。
 サーキットでは、自分で出来る限りのことはした。13位で予選を通過し、12位でフィニッシュした。僕の立場から見て、このレースで一番大きな出来事だったのが、ラルフ・シューマッハとデビッド・クルサードと、チームメートのルーベンス・バリチェロが絡んだ第1コーナーでのアクシデントだ。ルーベンスのマシンが僕のマシンに接触して宙に飛ばされた。僕はレースを続けることはできたけれど、着地のときの衝撃で背中を痛めてしまった。
 インディからイギリスに飛んでヘレステストに備えた。このテストは、チームにとって大きな意味を持っていた。新しい空力パーツとサスペンションパーツを試すことになっていたからだ。数ヶ月前から製作にかかっていたもので、これが成功するかどうかによって、これからのシーズンが違ってくる。

 ヘレスでは、3日間のテストのうち2日間で走る予定だったが、痛めた背中がまだ辛かったから、最終日だけ参加した。新パーツの第一印象は、特に長距離が良かった。マシンの安定性も良くなっていたし、技術ディレクターのジャッキー・エッケラートに聞いたら、新しいパッケージなら長距離で1周0.4秒速くなると言っていた。まさにタイムリーな導入で、チームの皆も自信がついたと思う。
 フランスGPの前にも様々なPRの仕事が待っていた。まずはテスト地から英国に直行して、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに参加。このイベントにはF1デビューして以来毎年参加している。とても楽しいイベントだ。今年は、雨が降って皆びしょぬれになってしまったけれど、それでも楽しかった。土曜日には丘を登る自転車競技があって、僕もこのために数ヶ月トレーニングを積んできた。残念なことに天候があまりにひどかったので、安全性を考えて、主催者が競技の方式を変更した。タイムトライアルの予定だったのが、丘を登る1回のレースになったのだ。優勝は、去年のスーパーバイク世界選手権のチャンピオン、トロイ・ベイリス。僕ら残りの選手もかなり競り合ったんだけれど。そして日曜日には、丘の上までRA107を走らせることになっていたんだけれど、これも天気のせいで取りやめになった。翌週にマニクールで使うのと同じシャシーだったから、危険を冒すのはやめようということになったのだ。その代わり、Hondaのスタンドでたくさんの人にサインをした。
 翌日は、チームパートナーのためのイベントでシルバーストーンへ。ホンダ・レーシング・F1・チームのサードドライバー兼テストドライバーのクリスチャン・クリエンらも一緒だった。マレーを除く僕らは、ホンダエンジン搭載のリジェCNのプロトタイプなどいろいろな車にお客さんを乗せてサーキットを走った。
 そこからやっとモナコに戻り、フランスGPへの準備を始めた。2日ほどトレーニングをして、木曜日の朝、マニクールへ飛んだ。RA107のパフォーマンスはヘレスでのテストで期待した通りで、予選より長距離の方が良かった。グリッドは、トップ10にわずか0.2秒差で12番手。レースも快適で8位に入った。特に最後のスティントではオプションタイヤで、ルノーと同じスピードで走ることができたからうれしかった。
 レース後、モナコへ戻り、2日ほどリラックスしてシルバーストーンに向かい、英国GPに臨んだ。このレースへの準備は、ヘレスでのテスト前に違和感があった背中がまた痛み出したせいで、うまく進められなかった。金曜午後のプラクティスセッションには参加せず、土曜日の朝にコックピットに座った。でも、シルバーストーンでマシンの挙動が良くなかったのは、この背中のせいではない。だから次のヨーロッパGPまでにやっておかなければならない仕事が出来たというわけだ。ニュルブルクリンクで、マシンのポテンシャルを発揮できれば、きっとまたポイントを挙げられる。
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