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HondaモータースポーツF1佐藤琢磨
佐藤琢磨 -前編-
 中学に入ると団地の一画をサーキットに見立ててレースを行なうようになった。そして、その日その日でコースを決め、腕時計のストップウォッチでタイムを計る“タイムトライアル”に興じたという。
 「団地のなかを走る道とか、敷地のなかの公園とかを組み合わせてミニサーキットを作るんです。1周で40秒とか50秒くらい、時には1分くらいの長いコースを作ったこともありましたね。そこを、当時流行り始めたマウンテンバイクで疾走するんです。といっても、まだ中学生だから競技用の本格的なヤツじゃないんだけれど、とりあえずマウンテンバイクの格好をしているスポーツ車ですよ。でも、今になって考えてみれば、団地って結構危ないところですよね。コーナーはブラインドばかりだし、場所によっては自動車が入ってくるところもありましたから。まあ、当時の僕らはそんなことおかまいなしで、タイヤをバリバリいわせながら、自転車を思いっきり倒してコーナーを駆け抜けていました」  懸命にペダルを漕ぐ琢磨はいつも優勝。ただし、あまり勝ち過ぎると友達は離れていく。「だから、友だちはマウンテンバイクでもスリックタイヤに交換してOKってことにするんです。僕はブロックタイヤのままで。それで勝負すると、1秒以下の僅差になったりすることもありましたね」

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初参戦したシマノ鈴鹿ロードレース
 高校に入学すると、地元のプロショップ「たかだフレンド」を通じて本格的な自転車競技の世界を知ることになるが、そこでの琢磨も、どこかでクルマの影響を受けていたように思える。きっと、その数年前に鈴鹿で体験した、F1日本GPの衝撃が忘れられなかったのだろう。
 「高校に入ってから、自宅の近所に"たかだフレンド"というスポーツ自転車店を発見して、そこで初めて本格的な競技車のマウンテンバイクを手に入れたんです。それが、それまで乗っていた自転車とはまるで別物でした。とにかくフレームの剛性感が全然違ったし、変速機も指先の操作ひとつで、F1のセミATみたいに"カチッ、カチッ"って決まるんです。もう、それが嬉しくて嬉しくてね。でも、乗っているうちに調整が狂ってきて、変速のスムーズさというか素早さが段々失われてくるんです。そうなると面白くなくて、自分で納得がいくまで何回でも調整してました。ばらしては組み立て、ばらしては組み立てての繰り返し。ワイヤなんか必要がないのにしょっちゅう取り替えたり、グリースアップしたり。そこまでのメンテナンスはタイムに関係する領域ではなかったけれど、完璧じゃないことが自分としては許せなかったんです。おそらく『きっちり調整されたものでなければ、全開走行は許されない』っていう思いが、自分のなかにあったんでしょうね」

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高校2年生のとき、シマノ鈴鹿ロードレース初参加で優勝。左から小田さん/琢磨選手/高田さん
 タイムに直接、関係あるかないかは別にしても、常に完璧を追い求めるという姿勢はF1グランプリに特有のものだ。そうした感覚を、琢磨はモータースポーツの世界に足を踏み入れる前から身につけていたのだから、やはり驚かずにはいられない。また、どんな小さなチャンスも無駄にしないという琢磨のスタンスは、次のエピソードからも垣間見ることができる。
 「僕が入った高校には自転車部がなかったため、担任だった先生を顧問にして独力で部を立ち上げました。ただし、この自転車部が高校体育連盟(高体連)に登録されたのは僕が高校3年になってからだったので、それまで高体連主催の競技会には出場できませんでした。けれども、正式に登録されるのを待っていては経験を積めないので、知り合いだった別の高校の自転車部の先生にお願いして、ある競技会の練習走行にこっそり混ぜてもらったんです」

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高校3年生17歳のとき。豊橋国体東京都代表、ロードレース出走前。
 「たしか山梨県境川村の競技場でしたが、朝の5時くらいに母が運転するクルマで出かけたのを覚えています。決勝当日の朝に行なわれる、ちょうど4輪レースのウォームアップと同じような走行セッションでしたけど、適当な速い集団を見つけては、それにくっついていって一緒に先頭と交代しながら走ったりして、バンクの特性とか選手の実力なんかを研究したんです。本格的な自転車競技用トラックを走ったのはこのときが初めてだったし、ピストレーサーと呼ばれる競技専用車に乗ったのも初めてだったので、とてもいい経験になりましたよ。もっとも、正式な登録選手ではなかったので実際の競技には出場できません。だから決勝はスタンドに行ってビデオを回しながら、誰が速いのかとか、どんなレース運びをするのかなどを自分の目に焼き付けていました」

 こうした努力が実を結び、琢磨は1994年インターハイで優勝、1995年インターカレッジ:2位、同年国体:6位、1996年全日本学生選手権:優勝という華々しい戦果を収めていくのだが、そうした成功も、彼のクルマへの思いを断ち切らせるには充分ではなかった。そして、すでに大学生になっていた琢磨はHondaと鈴鹿サーキットが運営するフォーミュラカーのレーシングスクール「SRS-F」の存在を知ると、いても立ってもいられなくなり、すぐに4輪レース挑戦の準備に取り掛かることになる。
中編に続く
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