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「生まれた時からクルマのことが好きだった」 佐藤琢磨の口からクルマへのひたむきな想いを聞いていると、ふとそんな空想に駆られる。もちろん、そうした情熱は彼が物心ついてから芽生えたものだが、それでもなお、琢磨とクルマの結びつきに何かしら宿命的なものを見出してしまう向きには、こう説明すれば納得してもらえるかもしれない。「琢磨はクルマ好きのDNAを父から譲り受けた」と・・・。
琢磨の指定席は、父の隣。運転する父の姿を助手席から眺めながら、自分もオモチャのステアリングを操作していたという。 「たしか小学校に入ったばかりのことですが、クリスマスのプレゼントか何かでオモチャのハンドルを貰って、それをダッシュボードに忍ばせておいたんです。そして、家族で遠出するときはそのハンドルを取り出して、親父と一緒に右に切ったり左に切ったりしていました。だから目的地までの行き帰りも、僕にとっては楽しみだったんです」 クルマは移動の手段と思われている人々には意外だろうが、琢磨が関心を寄せていたのは、目的地での行楽よりも移動するクルマそのものだった。「窓の外を流れる景色を楽しむよりは、見知らぬ道をどんどん進むクルマのほうに興味がありましたから、どんな風に走って、どんな風に曲がるんだろうとか、いつもそんなことばかり考えていました」 乗り物を操ることに憧れていた幼年期の琢磨が、自転車にのめり込んでいったのはごく自然なことだった。 「子供にとっては、自転車を持ってるか持ってないか、乗れるか乗れないかで、ずいぶんと世界が違ってくると思います。とにかく行動範囲が全然変わってきますから。当時、僕にとっての自転車とは、車輪がついていて移動の手段に使えるという面ではクルマと同じで、そういう意味では乗り物を走らせるという行為に魅力を感じていたのかもしれません。ただし、それと同時に知らないところに自分の力で行けるというか、未知の世界に自分を連れて行ってくれる、いわば冒険としての楽しさにも惹かれていました」
琢磨の小さな冒険旅行は、小学校の終業のベルと同時に始まるのが常だった。「学校が終わると、とにかく遠くに向かって自転車を走らせました。ひとりで行くこともありましたけど、だいたいは友だちと一緒に出かけていましたね。それで、どんどんどんどんペダルを漕いで探検するんです。迷子になっても構わないから、とにかく遠くに行く。そうして見知らぬ街角に辿り着くと、一緒に行った友だちは『もうヤバイから帰ろうよ』とか『いま来た道で帰ろうよ』とか言い出すわけです。でも、僕は同じ道で帰るのが絶対に嫌だったから(笑)、変な道を選んで、わざと迷子になっちゃう。そこから、自分の勘というか本能を頼りに自分の家まで帰るのが楽しみだったんです。でも、時には自分でもいよいよヤバイと思う時がありましたね。そんな時には胸がドキドキしてきちゃうんですけど、それでも、なぜか絶対に帰れるっていう自信があったんです。そうやって、自分の感覚だけで道を選びながら走っていくと、ひょんなところから、自分の知っている道に出くわしたりする。その瞬間がすっごく嬉しくて、そこから一目散に家に帰って『ああ楽しかった』と胸を撫で下ろす。そうやって一日一日が終わっていました」
「その頃になると、自転車に乗る技術(笑)もかなり上達していたから、今度はコンマ1秒でも速く走ることに関心が移っていったんです。自転車でも“かけっこ”でも、僕はとにかく負けず嫌いだったので、何でもとことんやるんですよ。僕たちが“警ドロ”って呼んでいた、警察とドロボウに扮してする“追いかけっこ”にしても、絶対に負けるのが嫌で徹底的にやってましたからね。まあ、そういうわけで自転車でレースをするようになってからも、とことんやってましたよ。もちろん、負け知らずでしたけどね」 |
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