HondaモータースポーツF1 〉日本GP記者会見レポート
2006 Honda F1 日本GP記者会見レポート

 日本GP直前の10月3日、東京都内のホテルで「2006年Honda F1日本グランプリ記者会見」が行われた。会見にはHonda Racing F1 Team とSUPER AGURI F1 TEAMの主要メンバーが出席。「4台のHonda F1マシンで、最高のパフォーマンスを披露したい」と、鈴鹿サーキットで開催される同GPに向けての抱負を語った。

 国内外300人以上の報道関係者が詰めかけたこの会見には、Honda Racing F1 Teamから和田康裕 エグゼクティブ・アドバイザー、ニック・フライ チームCEO、中本修平 シニア・テクニカル・ディレクター、ルーベンス・バリチェロ選手、ジェンソン・バトン選手、さらにSUPER AGURI F1 TEAMからは鈴木亜久里代表、佐藤琢磨選手、山本左近選手というHonda F1主要関係者全員が出席した。

和田Honda Racing F1 Team エグゼクティブ・アドバイザー
「鈴鹿でもう1勝できれば、最高です」

Honda Racing F1 Team 最初にフライCEOが、チーム初優勝となったハンガリーGPを振り返り、「ワークス体制となったことで、日本とイギリスの連携がいっそう緊密になり、成果を挙げてきたことが今回の結果につながった」とチームワークの勝利を強調。和田エグゼクティブ・アドバイザーも、「シーズン前半は山谷があって、苦しい時期が続いた。しかし夏以降、尻上がりに力をつけた結果、ハンガリーGPで表彰台の真ん中に上がることができた。まだまだトップとの差はあるとはいえ、チームに体力がついてきた感じはしますね」と、手応えを語った。

 また、日本GPに関してフライCEOが、「最低限の期待は、ダブル入賞。できればぜひ、表彰台に上がりたい」と言えば、和田エグゼクティブ・アドバイザーが「ニック、控えめ過ぎるよ」と言う場面も。「私個人の気持ちとしては、年内にぜひもう一度勝ちたいですね。それが鈴鹿なら、最高でしょう。大変難しいチャレンジなのは承知しているけれど、全力を挙げたいです」と決意を新たにした。

 1987年に始まった日本GPは、今年20回目を迎える。しかし鈴鹿サーキットでの同GPは、今回でひとまず幕を閉じる。その鈴鹿にかける思いが結実したのが、Hondaの「鈴鹿スペシャル」エンジンである。

 「鈴鹿に投入するこの仕様を、HondaのV8エンジンの集大成にしたい」と、中本シニア・テクニカル・ディレクターは力を込める。「開発陣のがんばりで、予定よりずいぶん前倒しした形で、様々なアイデアを実現することができました。このエンジンの投入で、トップチームとの差を少しでも詰めたい。そして何とか表彰台をもぎ取りたいですね」。

バトン選手
「鈴鹿は、もうひとつのホームサーキット」

 鈴鹿で来年F1が開催されないことは、Hondaドライバーたちも非常に残念がっている。2003年にここで優勝した経験を持つバリチェロ選手は、今年が14回目の鈴鹿となる。

ルーベンス・バリチェロ 「さまざまな思い出を、プレゼントしてくれたサーキットだよ。ここで走るのは、本当に楽しい。難易度の高さでは、あらゆるグランプリコースの中で屈指だ。でもそれだけに、すごく攻めがいがある。僕はまだHondaに来てから表彰台に上がってないけど、すぐ間近まできている印象はある。大好きな鈴鹿でその結果が得られたら最高だね。もちろん僕の母国GPである次のブラジルでそれが続いても、全然かまわないけど(笑)」。

 一方のバトン選手は、「鈴鹿は僕の、もうひとつのホームサーキット」と言う。

ジェンソン・バトン 「Hondaの選手だからというだけじゃなく、すごく特別なサーキットだ。2004年の表彰台は、忘れがたい思い出だしね。鈴鹿では、真に速いマシン、真に速いドライバーだけが勝てる。正直いって僕らのマシンはまだ、ドライ路面ではルノーやフェラーリに立ち向かうのは難しいと思う。でももし雨なら、誰にも負けない自信はある。僕もマシンもね。シーズン前に立てた僕の今年の目標は、複数回の優勝だった。是非それを鈴鹿で達成したいね」。

鈴鹿にかけるSUPER AGURI F1 TEAMの思い

SUPER AGURI F1 TEAM 今季、念願のF1参戦を果たしたSUPER AGURI F1 TEAM。鈴木代表がまずここまでの苦難の道のりを振り返った。

 「去年の秋からチームを立ち上げて、非常に限られた時間と予算の中、何とか2台のマシンを開幕戦のグリッドに並べることができた。テストも満足にできず、ほとんどぶっつけ本番のF1参戦でした。それからも厳しい戦いを強いられ続けたけれど、振り返るとあっという間でしたね。シーズン当初はトップから1周当たり6〜7秒遅かったのが、新車投入以降はその差もずいぶん縮まっている。ようやくF1マシンらしくなりました」。

 同代表は現役F1ドライバー時代の1990年、日本人として初めての表彰台に、しかも鈴鹿で上がっている。それだけに「自分の名前を冠したチームで、鈴鹿に行けるのは感無量です。日本GPのために、これまで1年間歯を食いしばってきたといっても過言じゃない」と熱い思いを語った。

 佐藤選手、山本選手の2人も、鈴鹿に育てられたドライバーである。ともに鈴鹿で初めてF1マシンに遭遇し、SRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール フォーミュラ)を経て、レーシングドライバーのキャリアをスタートさせた。

山本左近 特に山本選手は、初めてのレースも、初めてF1マシンに乗ったのも、鈴鹿だった。「僕のレース人生は、鈴鹿サーキット抜きには考えられない。自分にとって、非常に思い入れの強いサーキットです。このサーキットに、僕は育ててもらいました。特に今年の日本GPにF1ドライバーとして戻れるのは、楽しみというよりかけがえのない経験という感情が沸いてきます。もちろん最高の結果を出したいです。でも何より、実際にグリッドに並ぶことを思うと、想像するだけでわくわくしますよ」。

佐藤琢磨 そして佐藤選手は2002年のF1デビュー以来、毎年のように大観衆を沸かせる走りを見せてきた。「そう。本当に、思い出深いレースが多いですね。特に1年目の2002年は、戦闘力の劣るマシンで5位入賞を果たせた。あの時勝ったミハエル・シューマッハ選手が僕のことを、『もう一人のウイナー』とコメントしたのも、忘れられないですね。今年も決して楽なレースじゃないでしょうけど、蓄積してきたエネルギーを、すべて鈴鹿にぶつけたい。チェッカーを受けたとき、『ああ、いいレースだった』と素直に思え、観客のみなさんにもそう感じてもらえるような、そんなレースをしたいです」。

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