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今回は、私が具体的にどんな仕事をしているのかを話しましょう。
今の肩書きは、エンジニアリング・ディレクターというものです。名前からするとエンジニアのようですが、自分ではむしろネゴシエイター(交渉人)だと思っています。一言で言えば、B・A・RとHondaの間の仲介役みたいなものですかね。
2000年にF1に復帰してきたHondaは、エンジンを供給するだけでなく、チームであるB・A・Rと共同して車体を開発することを大きな目標に据えました。そうなると、Hondaの考え方をチーム側に説明する必要が出てきた。車体開発に関して、Hondaからもどんどん提案したい。それから、実際のレース運営はB・A・Rがやるにしても、そこにも積極的に関わっていきたい。そのために、チームと緊密に意思を通じ合わせることがとても重要になってきたわけです。
私はもともと車体のエンジニアだったし、二輪時代にはレース現場も経験した。そんな経歴から「お前やれ」ということになったんでしょう。しかし、レースチームと自動車メーカーが一緒に仕事をするというのは、想像以上に大変なことなんです。チームにしてみれば、俺たちはレースのプロなんだから任せてくれ、ちゃんとしたエンジンだけ供給してくれればいいんだ、という意識が強い。一方Hondaから向こうを見れば、非効率な部分がずいぶん目立ったし、いっこうに結果が出ないことがもどかしくてしょうがない。それに加えて、2002年まではジョーダンにもエンジン供給していましたから、両者で突っ込んだ話し合いができるような土壌ではなかった。実質的な共同開発は、何もできない状態でした。
それが去年からB・A・Rだけと組むことになって、お互い本腰を入れて協力し合う状況になった。ジェフ(・ウィリス)がテクニカル・ディレクターとして入ってきたことも、大きかったですね。ジェフのことは改めて詳しく話そうと思いますが、彼にはずいぶん助けられました。
そんなわけで、B・A・Rとの協力関係は、実質今年がまだ2年目と言っていいところです。去年はなかなか結果が出ませんでしたが、実力が蓄えられつつあるのは、手応えとして感じていました。あの時にみんなが苦労して撒いた種が、今少しずつ形となって表れてきた。今年いきなり速くなったのではなく、去年何をやってきたか。それが今年の結果なのです。(「その2」へ続く)
※「その2」の掲載はヨーロッパGP終了後の予定です。 |
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