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「2004年シーズンを振り返る」(その4)
 シーズン折り返し点のアメリカGPでは、第3期初優勝は逃したものの、フェラーリと互角以上の勝負を繰り広げることができた。意気上がるB・A・R Honda陣営。しかし中本自身は、「あれはインディアナポリスだったからこそ」と当時を振り返る。

―これで後半戦は、フェラーリと互角に戦えるという気持ちはありましたか?
 いや、全然。
 
―フェラーリとの差は依然大きいと。
 というか、インディアナポリスだから、あそこまで互角の勝負ができたんです。タイヤ的にも、あのサーキットでのミシュランとブリヂストンを比べると、ミシュランが圧倒的に良かった。逆にハンガリーやホッケンハイムでは、去年まで振るわなかったブリヂストンが、今年は良かったんですね。

―その後のB・A・R Hondaは実際、次のフランスGP、そしてかなり期待していたはずのイギリスGPで、思ったような速さを発揮できませんでした。
 フランスGPは、久々に表彰台に上がれなかったので、いろいろ言われていたのですが、最後のピットインの際に発進に手間取ってしまった。あれがなければ3位でフィニッシュできていたわけで、決して他のGPより悪かったわけではなかったんです。そうかと言って、特別良くもなかったのですが。
 フランスもイギリスも、もっと上を狙おうと、空力パーツをアップグレードしていました。ところが、その空力部品があまり良いものではなかった。ダウンフォースは確かに今までより大きな数値が出て、コーナリングスピードは上がったんです。でも、ちょっとした路面コンディションや荷重の変化で、挙動がすごくナーバスになってしまう。その辺をきっちりテストで詰めることができませんでした。2つの違う結果が出たり、と走行データの値が一定しないんです。
 そういう時は、自分の期待した方の結果を採用してはいけません。違う結果が出たということは、違う要因が加わっていたわけで、そこを見極めるべきなんですね。そこまでやり切れていれば、あの空力パーツは採用されなかったでしょう。でも、あの時は2連戦だったこともあり、そこまで煮詰めることができず見切り発車になってしまいました。(この項続く)
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