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シーズン折り返し点のアメリカGPでは、第3期初優勝は逃したものの、フェラーリと互角以上の勝負を繰り広げることができた。意気上がるB・A・R
Honda陣営。しかし中本自身は、「あれはインディアナポリスだったからこそ」と当時を振り返る。 ―これで後半戦は、フェラーリと互角に戦えるという気持ちはありましたか? いや、全然。 ―フェラーリとの差は依然大きいと。 ![]() ―その後のB・A・R Hondaは実際、次のフランスGP、そしてかなり期待していたはずのイギリスGPで、思ったような速さを発揮できませんでした。 フランスGPは、久々に表彰台に上がれなかったので、いろいろ言われていたのですが、最後のピットインの際に発進に手間取ってしまった。あれがなければ3位でフィニッシュできていたわけで、決して他のGPより悪かったわけではなかったんです。そうかと言って、特別良くもなかったのですが。 フランスもイギリスも、もっと上を狙おうと、空力パーツをアップグレードしていました。ところが、その空力部品があまり良いものではなかった。ダウンフォースは確かに今までより大きな数値が出て、コーナリングスピードは上がったんです。でも、ちょっとした路面コンディションや荷重の変化で、挙動がすごくナーバスになってしまう。その辺をきっちりテストで詰めることができませんでした。2つの違う結果が出たり、と走行データの値が一定しないんです。 ![]() |
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