2004年、B・A・R Hondaは、ウィリアムズやマクラーレンなど並み居る強豪を抑えコンストラクターズ選手権2位を獲得、大躍進を遂げた。佐藤琢磨も、日本人ドライバーとして14年ぶりの3位表彰台に上がった。しかし、結局1勝もできずにポイントを積み重ねての2位だったこと、そして何より、タイトルを独占したフェラーリとの差が依然としてかけ離れていることは、Hondaとしては手放しで喜べないところだ。そんなこんなの2004年シーズンを、中本現場監督はどう戦い、どう感じていたのか。1年を振り返る。

―シーズンの行方を占う開幕戦。決勝レースはバトン6位、琢磨9位という、2戦目以降から見るとかなり控え目な結果でした。

 予選はウィリアムズのモントーヤとまったくの同タイムで、バトンが4番手に入りましたよね。あれで、「ああ、結構やれるんだな」という手応えを得ましたね。というのも、モントーヤよりはるかに重い燃料を積んでのアタックでしたからね。
 冬のテストの時点では、ウィリアムズは、ロングランはともかく一発の速さはありました。それを我々は開幕戦の予選でしのいだわけですから、今年は少なくともウィリアムズには勝てると思いました。
 レースはああいう結果に終わったわけですが、これは完全にタイヤ選択のミスでした。路面温度が下がっても適応できるタイヤを選べていませんでした。レース当日は実際にそういうコンディションになってしまいました。ミシュラン1年目の経験不足がモロに出てしまった形ですが、完全な選択ミスは開幕戦のこれ1回だけでした。

―そして第2戦マレーシアで、早くも表彰台に上がります。

 これでほぼ確信しましたね。このまま計画通り、抜かりなく開発が進められれば、今年は大丈夫。3位以内に入れるだろうと。

―こんなに早く、いきなり表彰台、という感じではなかったですか?
 勝ってやろうと思っていましたから、そういう感じはありませんでした。実際、状況次第では、勝てたレースでした。でも同時に「勝てないなぁ」という実感も、ここで感じさせられました。フェラーリは凄いっていうね。開幕戦の結果はレーススタート前にある程度予測できていて、あの時点ではフェラーリの凄さはそんなに感じなかったんです。一方マレーシアは、結果的に表彰台に上がれましたけれども、フェラーリとは全く戦っていませんでしたからね。フェラーリだけが、別のレースをしていました。

―とはいえB・A・R Hondaが、初めて実力で勝ち取った表彰台でしたよね。

 そうですね。そういう意味では嬉しかったし、やれると思っていたことができました。「やれるはず」と「やれました」は、全然違いますからね。
 この2戦目で「今年は行ける」と思うと同時に、フェラーリとの差を痛感しました。で、その差を一体どうやって詰めて行こうかと。「フェラーリ+ブリヂストン」のパッケージングは相当強力でしたからね。(この項続く)
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