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 HondaがF1に復帰して5年。昨シーズンまで目立った成績が残せず、B・A・Rの組織改革が進められていく中、Hondaは技術研究所のメンバーを積極的に投入することを進めてきた。それは主に、遅れていた車体開発への投入だった。 
 
(F1車体技術開発責任者:橋本 健)
「どういう特長を持たせるか、要するに、F1を戦っていくときに、80点のクルマを作ってもしょうがないんですよ。まんべんなく作っていてもしょうがない」

 
 かねてから車体については、B・A・Rとの共同開発により進められてきた。車体の設計については、Honda社内にその経験を持つ者がいないため、経験の豊富なB・A・Rのスタッフと共同で進めなければならなかったのだ。
 
 設立当初から車体をデザインしていたのは、元レイナードの車体デザイナー。デザインされた車体はオーソドックスなレイアウトのため、他のチームと比べパフォーマンスが低かったと言われる。
 
 長年栃木研究所で車体を開発してきたエキスパート、橋本は、2001年のシーズン終了後、この状況を打開するべく、F1プロジェクトに参加した。
 
(橋本)
「B・A・Rとやっている時に、最初に行き詰まってしまったところは、このクルマってどういうクルマなのか?ってところ。どこにこのクルマの特徴があるんだ、と。徹底的にこだわったところは何だ、ってところなんですね。軽く作る、低く作る、曲がりやすいクルマを作る・・・、ストレートはちょっと犠牲にしても、すごく曲がりやすいクルマを作ってあげる、というふうに変えていくんです」

 
 また、橋本に加え、頼もしい人物がテクニカル・ディレクターに就任した。元ウィリアムズのF1デザイナー、ジェフ・ウィリスである。
 
(橋本)
「ジェフ(・ウィリス)が来て一番最初に言ったのは、このクルマは全然ダメだって。空力的にまったくダメだと、幼稚なクルマだと、彼ははっきり言ったんだ」

 
 ウィリスは、12年前からその才能を発揮している、エアロダイナミクスを知り尽くしたデザイナーだ。
 
(B・A・R Hondaテクニカル・ディレクター:ジェフ・ウィリス)
「私がチームに加わったのは、(B・A・R)004がすでに完成した2002年。初めて004を目にしたのは、004が最初のレースを終えて帰ってきたときか、レース直前かでした。明らかにマシンのつくりは荒っぽく、重すぎる。エアロダイナミクスは改善の余地がありました。全てを見直し、大幅な改善をしていかなければならないということを、すぐに認識しました」

 
 2002年のマシン、B・A・R 004には、すぐさま改良が加えられた。しかし、基本骨格が完成している以上、根本的な問題を解決することはできなかった。
 
(橋本)
「もうクルマはできているから、改良は部分的にしかできない。基本のモノコックはあまり変えられないから、部分的に改良していくしかないので、そのシーズンはあまりいい成績は出せませんでしたよね」

 
(ウィリス)
「当時のマシンにおける問題は、効率の悪さと技術的にかなり遅れていたことでしょう。荒削りで、全体のパッケージにも問題がありました。デザインをする上で一番重要である一貫したコンセプトがクリアではなく、ただたくさんの小さなパーツが組み合わされていたという感じです」

 
 そこでウィリスは、2003年に向けた新たな車体の開発に着手した。Hondaは以前から車体の開発についてはB・A・Rに対して技術的な助言を行っている。ウィリスの加入によって、それをさらに推し進めるため、栃木研究所のメンバーをB・A・Rに駐在させることで綿密な開発を行えるようにしていった。
 
 しかしそこには壁があった。エンジニア同士の考え方の違いである。特殊なクルマと言えるF1マシンを扱うB・A・Rのエンジニアと、量産車を開発してきたHondaのエンジニア。双方の進め方に大きな差があったのだ。B・A・Rに駐在しているHRD主任研究員の外村は、この違いについて語ってくれた。
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フッタ
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