Honda Racing to TOP
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 自分を印象付けるために履歴書を持参するという手法は、大人だったら気づいて当然のことかもしれないが、まだ19歳の琢磨には及びもつかなかったようだ。けれども、後述するように履歴書だけで済まさなかったところが、いかにも琢磨らしいといえるかもしれない。
 「履歴書だけではしようがないような気がして、作文を書くことにしたんです。『これまで自分はこういう事情でレースには関われなかったが、こんなに真剣にレースを戦いたいと思っている』という気持ちを延々書き綴りました。書き終わったのは夜中の3時くらいでした。必死に書いたその作文を、翌日課長に会ったとき手渡したのです」

 翌日、課長との面会はわずかに数分だったが、琢磨の手渡した履歴書と作文は充分にその使命を果たすことになる。
 「その年のSRS-Fの入校手続きをして、説明会に参加しました。ところが、選考はすべて書類審査で行なうため、説明が終わったところで『今日はこれで終了します』と告げられたのです。これはSRS-Fに自分の将来を賭けていた僕には納得できないことでした。何しろ、これがSRS-Fに入る最後のチャンスでしたから。それに、僕がSRS-Fを志望した第3期は、第1期卒業生の山西康司選手が全日本F3選手権で大成功を収めた直後ということもあって、定員7名のところに、70名近くもの応募があったのです。だから、書類審査にすべてを託すわけにはいかなかった。そこで『せめて面接をさせて欲しい』とお願いをしたところ、この希望が叶って面接に臨むことになりました。そのとき、何と以前お会いした課長が面接官として対応してくださったのです」
 そこで琢磨が「お久し振りです」と呼びかけると、課長は「最近、自転車はどう?」と質問してきたという。つまり、琢磨のことを覚えていたのだ。「そこで、後は思いのたけをぶつけることにしたのです」
 琢磨の情熱が伝われば何の心配も要らない。こうして念願かなってSRS-F入校の権利を獲得し、琢磨は夢の実現へとまた一歩近づいたのであった。

SRS-F入校記念撮影。後列中央が琢磨選手。
 琢磨と同期でSRS-Fに入校したスクール生のなかには、カートの全日本タイトルを獲得したり国際的なカートレースに参戦する金石年弘や松田次生らも含まれていた。この時点でカート経験はまだ半年ほどに過ぎなかった琢磨に比べれば、ふたりはサラブレッドも同然である。けれども、スクールが始まるとすぐに、琢磨は彼らを凌ぐ速さを見せつけることになる。時には講師陣を打ち負かすこともあったそうだが、それでも琢磨は自分のドライビングテクニックを一心に磨いた。

 「スピードという意味では、入った直後から誰にも負けませんでしたが、それでも自分の走りが完璧だとはまるで思わなかったので、データロガーで全員の走行データをチェックしました。講師陣の走行データを見るのはもちろんでしたが、ラップタイムで比べれば自分より遅いドライバーにもきっと何か学ぶべき点があるんじゃないかと思って、とにかく隅々まで見ていましたよ」 
 SRS-Fではスクール生の走行データを互いに閲覧できるようにしていたが、琢磨はそれらをコピーすると、個人で購入したパソコンを使って何度も何度も確認したという。「F1でテレメトリーのことが話題になっていたから、それとよく似たデータロガーにもすっごく興味があったんです。おまけに、短期間でたくさんのことを学ぼうとしていた僕にはぴったりのシステムでした」
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