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 1999年、ジェンソンはルノーのプロマテクメ・チームからブリティッシュF3選手権に参戦、3勝しドライバーズ・タイトル3位でシーズンを終える。そしてその年のハイライトはシーズン終了後の9月に行われたご褒美のマクラーレンのテストであった。マクラーレンF1マシンで、イギリスGPが開催されるシルバーストーン・サーキットを10ラップしたのだが、彼は彼のドライバーとしての才能を存分に発揮し、関係者の度肝を抜いた。
 「F1はただただ凄かった」
思い出しながらジェンソンはそう語った。「サーキット・コンディションがひどかったにもかかわらず、パワーもグリップも想像以上にあって驚いたよ。マクラーレンのテストは僕のF1への情熱をますます駆り立て、絶対にもう一度F1をドライブするぞという僕の決意は一層固いものになっていったんだ」
その時点でジェンソンはその年が終わるまでにもう一度F1に乗れるチャンスが巡ってくるとは夢にも思わなかった。

 メキシコでガールフレンドとともに休暇を楽しんでいたジェンソンのもとに、F1チャンピオンに3度輝いた天才ドライバー、アラン・プロストその人から電話が入る。バルセロナで行われる3日間のF1テストの最終日に乗るドライバーを探しているが、興味があるならどうかとジェンソンを誘った。
「ジェンソンのことは以前から注目していて、バルセロナのテストでドライバーが必要になったので、いい機会だからジェンソンを試してみようと思って声をかけたんだよ」とプロストは当時をそう振り返った。
 バルセロナのサーキットで走った経験のまったくなかったジェンソンだったが、ここでも彼は持てる才能を存分に発揮する。AP03マシンを瞬く間に乗りこなし、レギュラー・ドライバーであるジャン・アレジよりも速いタイムを記録した。このテストが雪崩となって、すべてがものすごい勢いで動き出し始め、ジェンソンはF1へと駆け上がる。
 2000年もブリティッシュF3選手権に出場する契約を交わしていた彼のもとに、もっと魅力的な話が舞い込んだ。フランク・ウィリアムズ本人から電話をもらい、ウィリアムズF1チームのテストに誘われた。
「私がジェンソンに電話をした大きな理由のひとつは、1991年に前から目をつけていたミハエル・シューマッハを獲得し損ねた時のような惨めな想いを2度としたくなかったからだ」とフランクは教えてくれた。
そして我々はこの物語の冒頭へと戻ることになる。2000年ウィリアムズF1の2番目のシートを争うブルーノ・ジュンケイラとのシュートアウト(一騎打ち)で見事にシートを勝ち獲ったのだった。
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フッタ
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