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「ジェンソンはとてもタフな青年だよ」 ウィリアムズ時代のレース・エンジニアのテリム・プレストンは言う。「彼が凄いのはレース中であっても実にリラックスしていることだね。F1マシンを限界でドライブすることは彼にとってストレスでもなんでもないらしいし、他のドライバーに比べてもプレッシャーは少ないようだ」 |
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![]() その後も数多くのカートレースで成功をおさめたが、そのうちで特筆されるのは、シーズン34レースの全てに勝って1991年のブリティッシュ・カート・チャンピオンシップを制したこと。1995年にイタリアICA(インターコンチネンタルAクラス)のシニア部門でタイトルを獲得したこと。そして1997年にヨーロピアン・スーパーAチャンピオンシップで史上最年少のチャンピオンになったことだ。 97年シーズンには鈴鹿で行われたアイルトン・セナ・メモリアル・トロフィーにも勝って華を添えている。少年時代のヒーローのアイルトン・セナに触発されてジェンソンがレースを始めたことを考えれば、巡り合わせの不思議を感じる。そしてこのアイルトン・セナ・メモリアル・トロフィーでの活躍が元レーサーのハラルド・ヒュイスマンの目にとまり、ジェンソンのF1への道は大きく開ける。 「私は若いレーサーの発掘に興味を持ち、有望な人材を探していたのです。知り合いのカート関係者に有望な若者を教えてくれと頼んだところ、彼は躊躇なくジェンソンの名を挙げました。彼が言うにはジェンソンはセナ以来の逸材であるとのこと。早速ジェンソンを追いかけて鈴鹿に来たら、難なくセナ・トロフィーで優勝したので凄いと思ったのを覚えている」と、ヒュイスマンは当時の想い出を語ってくれた。 ヒュイスマンはすぐに億万長者のデビッド・ロバートソンに話を持ちかけてジェンソンのマネージメント・チームを結成し、物心両面でジェンソンをサポートし始める。そして1998年、ブリティッシュ・フォーミュラ・フォード・チャンピオンシップにヘイワード・レーシングから参戦した時にジェンソンの真の自動車レース・キャリアはスタートした。その年、彼はマクラーレン・オートスポーツ・ヤングドライバー・オブ・ザ・イヤー賞を獲得する。 「彼の受賞は満場一致でした」 審査員のマーカス・パイが証言する。そして副賞としてマクラーレンF1をテストドライブできるチャンスがジェンソンに与えられたが、このことはF1を目指すジェンソン・バトンにとって、もっとも重要な意味を持つ出来事であった。(後編に続く) ![]() |
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