|
苦闘の連続であったその2年間は彼に忍耐とチームとは何かを教えた。F1では、ファクトリーでマシンを仕上げるメンバーも、パドック・クルー同様レースを勝つためには大切な仲間なんだということ、全員の心がひとつにならなければ勝てないんだということを身を持って学んだ。だからこそジェンソンがB・A・R
Hondaの一員として最初にやったことも、その2年間に学んだことに基づいたものだった。
2002年F1シーズンを終えたある日、ジェンソンは疲れもみせず新幹線に飛び乗り、Hondaの栃木研究所を訪ねた。スター・ドライバーの突然の訪問にびっくりさせられたF1エンジンの研究開発をするスタッフは、ジェンソンの飾らない人柄と天性の人懐こさにいつのまにか魅了され、短い訪問の間に彼を仲間として歓迎し受け入れた。貴重なプライベートな時間を割いての訪問であったが、ここにも彼の真面目さとひたむきな性格がよくあらわれていると思う。
ジェンソンはHondaの2003年F1シーズン用エンジンをつぶさに見たあと、ツインリンクもてぎに移動、Honda栄光の歴史が展示されたコレクション・ホールも見学した。ちょっとした楽しみはそのあとに待っていた。2.4キロのオーバルコース上に新しいNSX-Rが彼のために用意され、待っていたのだ。NSX-Rに躊躇なく乗り込み、コースを瞬く間に理解、数ラップ後には生れて初めてドライブしたというオーバルコースを楽しむかのように、ジェンソンはクルマをコントロールしつつ270km/h近いペースで周回していた。
|
|