Insights

2020年10月25日

1986年エストリル― セナに完勝したマンセル

1986年エストリル― セナに完勝したマンセル

今週末は、アルガルベ・インターナショナル・サーキットでのF1初開催となりますが、ポルトガルでのグランプリ開催には長い歴史があります。

初めてF1ポルトガルGPが開催されたのは、1958年。同国北部のポルトに設置された市街地コース、ボアビスタ・サーキットでした。翌年は首都リスボンの公道を舞台にしたモンサント・サーキットで行われ、1960年には再びボアビスタでの開催となりました。

1986年エストリル― セナに完勝したマンセル

それから10年以上を経て、1984年にリスボン郊外の常設サーキットであるエストリルでの開催がスタートします。ここエストリルでは、Honda F1として過去に2勝を挙げていますが、なかでも1986年のレースは、F1の歴史に名を残す2人のレジェンドによる素晴らしい戦いが繰り広げられました。

1986年は史上稀に見るスリリングなシーズンとなり、アデレードで行われた最終戦で、ウイリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセルがタイヤバーストを喫してタイトル獲得の望みが絶たれるという劇的な幕切れを迎えました。マンセルは、シーズンを通じて素晴らしいパフォーマンスを発揮し、このポルトガルでも印象的なレースを展開しました。

モンツァでのイタリアGPでウイリアムズ・ホンダは、マンセルとネルソン・ピケによって1-2フィニッシュを果たし、マンセルは残り3戦でポイントリーダーとしてポルトガルGPに臨みます。この年のタイトル争いは激戦で、マンセルと5ポイント差にピケ、8ポイント差にアラン・プロスト、13ポイント差にアイルトン・セナというランキングになっていました。

1986年エストリル― セナに完勝したマンセル

この年のレギュレーションでは、優勝で9ポイント、さらに全16戦の上位11戦のポイントをランキングに反映する有効ポイント制が採用されていました。残り3戦で首位と13ポイント差のセナにとって、逆転の望みはわずかなものと見られていましたが、予選で常に上位につけていたこともあり、手強い存在であることに変わりはありませんでした。

エストリルでも圧倒的な速さを見せたセナは、予選で2番手のマンセルに約0.8秒差をつけ、シーズン7度目のポールポジションを獲得。3番手のプロストとは1秒以上の差がありました。しかし、セナの駆るロータス・ルノーは、予選の速さをレースでも発揮していたわけではなく、レースディスタンスではHonda V6エンジンにも十分な勝機がありました。

決勝スタート前、マンセルは狙いを1コーナーに定めていました。ポールポジションのグリッドはイン側に位置しており、スタートでリードを奪うつもりでいたのです。ウイリアムズ・ホンダのレースペースには自信のあったマンセルでしたが、道中でセナをオーバーテイクするのはかなり厳しいと踏んでいました。

1986年のスタートは、グリッド上のシグナルが赤から青へと切り替わる方式でした。英国の歴史ある雑誌「Motor Sport Magazine」で長年腕を振るうデニス・ジェンキンソン記者は、当時を振り返り、マンセルの狙いをこう書き残しています。

1986年エストリル― セナに完勝したマンセル

「レース後、彼に話を聞くと、スターティンググリッドでレッドライトのフィラメントを見つめていたと明かしてくれました。彼はグリーンに切り替わる寸前に空白の時間があると考え、レッドライトが薄暗くなった瞬間にスタートを切ったのです」

「ピットでそれに気付いた人間はわずかで、ジャンプスタートを狙ったのではないかと首をかしげましたが、それを証明するものはありません。ラインのよさもあって、マンセルの判断は完璧と言えました」

スタートで飛び出したマンセルは、セナをかわして1コーナーへ。2人は後続を引き離し、ベネトンのゲルハルト・ベルガー、ピケ、さらに離れてプロストというオーダーとなり、マンセルの考えていたスタートの重要性を証明する結果となりました。セナは、オープニングラップこそマンセルを視界に捉えていましたが、次第にマンセルの走りに反応できなくなっていきます。

この展開に、ジェンキンソンはこう記しています。

「マンセルはそれまでも長いレースキャリアがありましたが、さらに学びを深めているように見えて、この年のパフォーマンスは特に記憶に残るものでした。ポルトガルでも、1コーナーでセナの前に出ると、勝負は決したかのように感じられたものです。スタートで飛び出し、下り勾配の高速右コーナーをよどみなく駆け抜けて、首位を確実なものにすると、さらに突き進みます。Hondaエンジンも、そのドライビングに応えてパワーを発揮しました」

1986年エストリル― セナに完勝したマンセル

「マンセルはウイリアムズ・ホンダのレースペースはもちろん、燃費マネージメントのシステムにも自信を持っていました。その後も攻め続け、53周目にはラップレコードも記録しています」

ポイントリーダーの面目躍如といった走りを見せたマンセルでしたが、その後方ではセナがピケとプロストを抑えており、やはりスタートで前に出るという作戦は的確でした。その後、最終ラップでセナは燃料切れを起こし、最終的に4位でフィニッシュします。

実は、この出来事がマンセルの運命に大きく影響します。もしセナがそのまま2位でフィニッシュしていた場合、最終戦後にプロストと同ポイントで並び、シーズン5勝を挙げたマンセルは、4勝のプロストに対して勝利数で上回るため、タイトルを手にしていたのです。しかし、マンセル本人は当時そんなことを考えてはおらず、レース後にこうコメントしています。

「シーズン終盤でネルソンとアランというチャンピオン経験者を抑えてランキング首位に立ち、これを終えれば残り2戦というところでしたから、年間で最も重要なレースでした。タイトル争いに踏みとどまるためには絶対に勝たなければならないと思っていました」

「(次のレースでタイトルが決まることを)願いましょう。ただ、まだそこまで考えていません。とにかく今日はでき得る最高の仕事をして、9ポイントを獲得できました。(ポイント獲得が11戦目となったことで)残念ながら、次のレースからはポイントが伸びない可能性もあるので、まだ分かりません。2レースも残っていますからね・・・」

1986年エストリル― セナに完勝したマンセル

このときのマンセルの考えは、図らずも的中してしまいました。セナの後退によって4番手から3位に上がったプロストは獲得ポイントを2つ増やし、残り2戦でポイントを伸ばせなかったマンセルは、その2ポイント差でチャンピオンを逃す結果となりました。しかし、エストリルでのマンセルは、完璧なレースを展開して、実力を証明してみせました。その走りが色あせることはありません。

ニュース