2020年9月3日
43歳の琢磨にとって、2017年に続く勝利となった今回のINDY500。「ブリック・ヤード」の愛称で呼ばれるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで、Hondaエンジン勢による1-2-3-4という印象的な結果に終わり、ビクトリーレーンで恒例のミルクを飲んだ直後から、メディアの取材攻勢が殺到しました。
そんな多忙の中、琢磨はインタビューの時間を確保し、今回の勝利について語ってくれました。1回目の勝利から学んだことや、今回の戦略についての話を聞いていくと、モンツァ以上にスリップストリームの重要性が見えてきました。
琢磨がフロントローを獲得し、最前列のアウト側からレースをスタートすることになった段階で期待が高まっていました。4ラップを走行する予選と、200ラップのレースで状況が異なることは分かっているとはいえ、琢磨自身もフロントロースタートの重要性を認識していました。
「予選でのフロントロー獲得と決勝レースでは別の話ですが、それでもマシンパフォーマンスを見て競争力があるのが分かり、とても満足していました。そして、予選の4周で安定した走りができて、チームをとても誇りに思いました。決勝用マシンがどれだけ競争力のあるものになるかを示していたからです。僕らのマシンには、ライバルのような最高速はなかったかもしれませんが、僕らが目指していたのは‘強さ’で、僕らのマシンは間違いなく最強でした」
「フロントローからのスタートという部分も大きかったです。中団は本当に荒れたレースになる一方で、フロントローが最も安全なスタート位置で、レースをコントロールできることは間違いありません。マシンで言うと、前回優勝したアンドレッティ・オートスポートのほうが、明らかにアドバンテージがありました。というのも、2017年のHondaのエンジンはもちろん強力でしたし、超強力なエアロパッケージもあったので、その意味でアンドレッティのマシンには確かなスピードがありました。しかし、今年は違いました」
「どのマシンも僅差でした。なかでも強かったのは優勝を争ったスコット・ディクソン選手だったと思います。すべてのプラクティス、予選でパフォーマンスを発揮していました。どんなコンディションでも速く、僕にとってのライバルと目していました。それ以外のマシンはあまり差がなく、すべてのドライバーにチャンスがあるという、素晴らしい状況でした。だからこそ、競争力のあるマシンで戦えるので、フロントロースタートでミスをしなければ、必ず優勝するチャンスはあると思っていました」
3年前のINDY500優勝は、日本人ドライバーとしても初の勝利でしたが、その前にも何度か惜しいレースがありました。琢磨にとってはそれらの経験が何かの形で役に立ったでしょうが、初優勝が自信となり、プレッシャーを取り除いてくれたことが、2度目の栄冠につながったようです。
「2017年はレース中ずっと集中し続けなければなりませんでしたが、僕にとっては経験したことのない新たな世界を見ることができました。もちろん、2012年のレースですでにリードラップの経験がありましたし、ダリオ(フランキッティ)を相手に激しく戦い、勝利をつかむためにターン1へ飛び込みました。それでも、勝者にはなれなかったわけで、実際にどんなものかは分かりませんでした。だから、2017年の経験は全く異なるものでした」
「今回はフロントローからのスタートで、とてもリラックスできていました。マルコ(アンドレッティ)がポールポジションからスタートしたものの、ディキシー(スコット・ディクソン)がそれをオーバーテイク。僕は前のマシンが1台のときのトウ(スリップストリーム)の具合がどうなるかを見るために、ディクソンについていきました」
「後方からライアン・ハンター‐レイが迫ってきたときも、その段階で激しいレースを展開するつもりはなかったので、ライアンはあっさり抜いていきました。3番手になってからは、2台先行のときのトウが、燃費の面でどんな様子かを見つつ、マシンバランス、タイヤの摩耗具合を確認していました」
「最初の100~150周で燃料のコントロールだけでなく、マシンバランス、タイヤの摩耗具合など細部にまで確認して調整し、勝負所となる最後の2スティントに備えていました。そして、プラン通りにいきました。そこが2017年の優勝時と大きく異なる点です」
F1だけでなく、アメリカのレースシーンでも人気の高い佐藤琢磨の初優勝は、日本のみならず世界のモータースポーツ界でも大きな反響を呼びました。今年のINDY500は、コロナ禍での開催で無観客となりましたが、琢磨の2度目の優勝は大きな話題になりました。
そして、今回もHondaを再び勝利に導きました。今年43歳になる琢磨ですが、Hondaとの関係は20年以上にわたって続いており、世界最高峰のレースで結果を出し続けています。
「Hondaの一員であることを誇りに感じています。子供の頃に多くの夢を与えてくれたのがHondaです。F1やマン島TTレースに挑戦し、モータースポーツの世界でナンバー1を目指していました。今でもF1やMotoGPでチャレンジ精神を見せてくれています。それこそ、Hondaがレースを続ける意味なんです」
「僕はレースキャリアのスタートが遅かったのですが、今ここでこうして話せているのは、Hondaのレーシングスクールに通っていたおかげです。20歳の頃にスカラシップを獲得して以来、僕のこれまでのキャリアを支えてくれました。だから、Hondaには感謝してもしきれません。日本人だからというだけでなく、彼らのレースへの取り組み方やファイティングスピリッツに誇りを感じています。そういった理由から、Hondaファミリーの一員であることが本当に誇らしいです」
その挑戦は絶え間なく続いています。INDY500勝利の数日後には、イリノイ州のワールド・ワイド・テクノロジー・レースウェイでダブルヘッダーに臨みました。そこでは土曜のレース1で2位、翌日のレース2ではポールポジションを獲得し、9位に入りました。
一方のF1では、先週末のスパ・フランコルシャンで表彰台を獲得。そして、特殊な戦い方となるモンツァへ向けた準備に取り組んでいます。
こうしてレースとともに過ごす日々が続いていくのです。