2019.08.04
「二度あることは三度ある」という言葉があります。それは偶然なのかもしれませんが、今週末は、その一例になるかもしれません。
ドイツGPの開幕前、Red Bull Toro Rosso Hondaのダニール・クビアトに、2015年のハンガリーGPで彼が初めてF1の表彰台に登壇した時の話を聞いていました。
もちろん、そのときはレースであのようなすばらしい結果が出る前のこと。我々はクビアトに「もう一度表彰台に上れるか」と尋ねました。すると彼は、「それが目標だし、僕の求めている結果です。そのために、僕は辛抱強く戦い続けるし、懸命に仕事に取り組んでいます。その努力が実ることを願っているよ」と答えてくれました。
それから数日が経ち、ハンガロリンクのパドックで、クビアトに改めて話を聞きました。ドイツでの発言については、プロとしての意識以上のものがあったと言います。
「僕はこんなことになると思っていなかったし、冗談を言ったんだよ!…というのは嘘です。でも、これだけは言いたかったんです。『僕らは必死に働いているんだ』と。表彰台に上りたいと思ってはいたけど、Toro Rossoはこの11年間、ずっと懸命に働いているのに、それを達成できていませんでした。2006年にチームが発足して14年。僕はその歴史の足跡を残せたことをとてもうれしく思っています。チームの全員が喜ぶのを目にすることは、とてもすばらしいことでしたし、かけがえのないことでした」
時の流れは早いもので、ハンガリーGPが始まります。そしてそのフリー走行は、ホッケンハイムでのレース以上に強い雨が降りました。クビアトは、表彰台に立った喜びに浸り続けるのではなく、新たな戦いに目を向けていました。
「長い人生を考えればあれは一瞬のことだから、あまり聞かないでほしいな。貪欲にならずに、日々を生きる。この一瞬を楽しみたいんです。僕らはすでにハンガリーにいるし、ここでだれがなにを起こすのか、分からないでしょう?雨が降れば、僕らにも常にチャンスが巡ってくるけれど、僕らは常に表彰台候補というわけではありません。Red Bullならそうでしょうけど。それにしても、僕らはチャンスをよくつかめたと思います。マシンも、パワーユニットもレースで非常に競争力を持っていたので、それはすばらしいことでした」
しかし、そんな彼にとっても、2015年に経験した最初の表彰台は、まさに特別だったと言えます。当時、Red Bullに所属していたクビアトは、金曜日のフリー走行をトップ3で終えます。しかし、予選7番手となったことで、彼がこのレースでトロフィーを獲得できるとは思われなくなっていました。
「確か、あのときは金曜日に力強い走りができていました。しかし、予選でなにかがかみ合わず、マシンにも満足していませんでした。予選でいくつかミスをして、4番手のダニエル(リカルド、当時Red Bull)に対してわずかな差で7番手になりました。当時、彼よりも速いことが普通だった僕にとって、満足いく結果ではありませんでした。土曜日こそそう思わされましたが、日曜日のレースはすばらしいものになりました」
ドイツGPのように、すばらしいレースを展開しながらも、クビアトのレースウイークは、このときも順調なものではありませんでした。好スタートを切って、ポジションを上げても、レースの見通しはよくありませんでした。
「僕が今再びその状況に置かれたら、優勝を目指して戦ったと思います。初めての表彰台がかかっているならなおさらです。あのレースは、特に序盤は難しい展開を強いられました。第2スティントはとてもよかったのですが、タイヤにフラットスポットを作って早めのピットインをしなくてはならず、レースに大きく影響を与えてしまいました」
「5番手、6番手ぐらいを走っていたとき、いくつかアクシデントが起きて、セーフティカーが出動しました。このとき、僕のレースは息を吹き返したのです」
「ニコ(ヒュルケンベルグ、当時Force India)がフロントウイングを失ったとき、僕は彼のすぐ後ろにいました。ニコをオーバーテイクできるぐらい近いところにいましたが、彼はストレートでとても速かったのです。その年、パワーユニットの性能差は非常に大きなものでした。メルセデス勢はストレートを飛ぶように加速するので、それを追い抜くというのは非常に困難でした」
「セーフティカーの後のスティントも、かなりいいものでした。ルイス(ハミルトン、メルセデス)やバルテッリ(ボッタス、当時ウィリアムズ)をオーバーテイクできたのです。最高に決まったと思える瞬間でした。あのときは、ファイナルラップの間に多くのことが頭を駆け巡りました。それを経験した今なら、前を走っていたセバスチャン(ベッテル、フェラーリ)に追いつこうと、もっと挑戦できたでしょう」
フィニッシュ時のベッテルとの差は約5秒(その後クビアトがトラックリミット違反のペナルティーを受けたためリザルト上は15秒)。クビアトは、ここまで上位に近づけるとは思いもしなかったと振り返ります。
「セーフティカーが入るまで、僕は表彰台争いからかけ離れていました。セーフティカーが入った瞬間、レースがカチッとかみ合ったんです。相手のマシンとの距離が縮まり、プッシュしようとか、攻めてみようというやる気が生まれました。近づく相手だけを見据えて、攻め続けました。とても楽しい時間でしたね」
「ある意味、この瞬間のために何年も努力を続けていたように感じました。でも、それは人生の1ページに過ぎず、また次の目標に目を向けなくてはなりません。今度は勝ちたくなってくるんです。最初に表彰台に上ったときは、こんなものなんだなとクールな感情でしたね」
「フィニッシュラインを越えた瞬間、自分の成し遂げたことについて考えると、とてもすばらしいと思えたし、大きな安心感がありました」
初めての表彰台、レース後の動きはいつもと異なります。しかし、クビアトは、逃した目標、すなわち優勝できなかったことが、少しだけ緊張を楽にしてくれたと話します。
「テレビでよく見る表彰台の光景はほんの一部のことです。当事者としてはすばらしい気分に浸ることができます。改めて自分の成し遂げたことを振り返り、ホッとしたような気持になりました」
「でも、セバスチャン(ベッテル)が持つ最年少表彰台記録を、数週間の差で逃したのには、少しだけがっかりしました。記録については知っていたし、目標でもありました。達成したかったのですが、ほんの数週間だけ遅かったんです」
クビアトは、失敗をよく分析し、考えることがあると言います。それは、絶えず改善のために努力するというHondaの哲学にも通じるものがあります。彼は、ホッケンハイムでの表彰台は、ハンガリーで経験した初めての表彰台のときよりも人間的に丸くなった結果だと考えています。
「あの頃にくらべると、精神的に少しタフなったと思います。いくつものレースウイークを過ごしながら、起きたことをすべて受け入れて、ハードワークを継続していくというのが、難しいこともありました。今は、一貫して物事に取り組めるようになってきました。仕事も、そのやり方も変わっていないのですが、当時は少しだけ違いました」
「当時、まだドライバーとしても、人間としても、自分自身を模索していたところでした。なにが正しいのか、なにが間違っているのか、分からないこともありましたが、今ははっきりとしてきています。その感覚が、大いに役立つのです」
「結局のところ、それは小さなことです。ドライブビングの才能だけではなく、いつ、どのように動くのが正しいのかを見極めて仕事をしていくかを考えることが大切です。何にでも通じることだと思います」
F1に復帰した今シーズンは、初めてHondaの一員として過ごすシーズンでもありますが、25歳の彼にとって、Hondaと一緒に仕事をし、そのメンタリティに触れることはいいことだと言います。
「とても楽しんでいるよ。みんな一生懸命に仕事をするし、常にいいアイデアを持ち合わせています。現場のエンジニアは話しやすい人たちで、いつも気軽に彼らのもとを訪れています。ここ数年でHondaは大きな進歩を遂げたことは結果が証明しているし、これからもそうであってほしいです」
ハンガリーでのレースを終えると、いよいよF1も夏休み。ちょうど、夏休みについての話題になりました。実は、クビアトにとって、ドイツGPでの表彰台は第1子誕生から1日と経たない中でのものでした。「休み」という言葉はひょっとしたら正確ではないのかもしれません。
「(休みじゃないかもというのは)本当だよね(笑)でも、家族と過ごす間も、学ぶべきことはたくさんあると思います。今後どうなるかは分からないけど、ガールフレンドのケリーとともに、いい両親になれると思うんです。子育てを楽しむことができればいいなと思っています。そして、もうちょっと睡眠が取れるといいかな(笑)」