2017年8月3日(木)

Honda Racing Insight ― F1チーム物流担当の仕事

F1は技術の限界に挑むスポーツです。それは、物流の分野にも言えることで、世界中を駆け回り、年間20戦を巡るMcLaren-Hondaは、常に移動を強いられていると言っても過言ではありません。世界のどこにいても、無数のパーツからなるF1マシンを運用できる体制を維持しなくてはならないのです。

もしあなたがその担当者で、一年中マシンの部品を管理し、常に利用可能な状態にしなければならないとしたら、どうでしょうか? F1における物流面の難点は、チームが最善を尽くせるよう、レースウイークやテストで必要なときにどんなパーツでも取り出せる環境を用意することです。

F1では、さまざまな面で準備がカギになりますが、仕事をスムーズに進める上では、経験が大いに役立ちます。Hondaの物流マネージャーである、グレアム・スミスもまた、豊富な経験を持つ一人です。

グレアム・スミス「11歳か12歳のときからずっと、モータースポーツが生活のすべてです」とスミスは語ります。「幼いころ、両親の知人で、自分のチームを持ってモータースポーツ活動をしていたデビッド・プライスさんと一緒に、週末のレースによく行っていました。彼はホイール磨きなどの手伝いをさせてくれて、それが私のキャリアの始まりのようなものですね」
「学生時代は、Westminster Catering Collegeという料理の学校で2年間、シェフになるために学び、卒業後は英国の国会議事堂に勤めました。その間も週末にはレースへ出かけて、その魅力にどんどんのめり込んでいきました。すると、デビッドが自分のチームでのフルタイムの仕事に誘ってくれて、二つ返事で引き受けました」

スミスは、メカニックから、料理人、予備部品の手配、運送の責任者、そしてチームの副監督まで、モータースポーツの世界でさまざまな経験をしました。ドライバーとしてフォーミュラ・フォードに参戦したこともあります。しかし、Hondaでの20年にわたる経験は、彼のキャリアの中でももっともインパクトが大きいものだそうです。

グレアム・スミス

「私は1998年にHondaの仕事をするようになりました。そのころはフルコンストラクターを目指して5台のマシンを製作し、2000年からの参戦を目指していました。ところが、1999年にマシンデザインを担っていたハーベイ・ポスルスウェイト博士が急逝され、Hondaはコンストラクターではなく、エンジンサプライヤーとしてF1へ復帰することを決めたんです」

「それから2008年まで、BARチームからHondaワークスへの変更もありながら、エンジンの物流責任者を務めました」

その後、ロータス(のちにケータハム)での経験を経て、スミスはHondaへ戻ってきました。チームの顔ぶれはかつてのと同じメンバーも多かったものの、、今回のチャレンジは全く新しいものでした。

Honda Racing Insights「物流の果たす役割は大きく変わっていました。昔はもっとシンプルで、各チームは2台の輸送トラックですべての資材を運んでいましたが、今やモーターホームにサポートトラック、さらにサポートトラック用にまた1台サポートがつくなど、膨大な量になっています」
「経験がもたらすものは大きいです。現在は3~4レースの準備を並行して進めており、考えなければならないことはたくさんありますが、長く経験しているので自然に動けることも多いです」

スミスは、スタッフの出張手配から貨物とパワーユニットの移送まで、F1でHondaに関連するものすべての移動を司ります。そのため、ミルトンキーンズとさくらにあるHondaの拠点と、ウォーキングにあるMcLarenの拠点の3つと、常に連絡を取って仕事を進めなければなりません。

グレアム・スミス

レースウイーク中であっても、パワーユニットはミルトンキーンズかさくらの拠点へ送り返され、検証と解析が行われます。スミスは、金曜日用のパワーユニットを予選日に、レース用のものを月曜日の朝に発送します。現在はMcLaren1チームにしか供給していませんが、それでも移動させる量は膨大になります。

Honda Racing Insights 「パワーユニット用のトレーラーが1台、そしてモーターホームとサポートトラックが1台ずつで計3台の車両を使っています。また、スタッフは毎戦18~20人がコアチームとして移動することになります」
「ヨーロッパ以外で行われる“フライアウェイレース”では、5トンにのぼる資材を運びます。パワーユニットは、いつ、どこで出荷するか柔軟に対応できるように、移送ルートを複数用意するんです。さらに、船便では、40フィート(約12m)のコンテナでホスピタリティーエリアとガレージの資材を送ります。この船便用の資材は5セット用意してあり、各レースの6~8週間前には発送しなければなりません」

現在のパワーユニットは複雑化しており、それぞれのコンポーネントを、別の部品と分けて移送することもあります。それでも、スミスは現行のレギュレーションによって年間で使用できるコンポーネントが制限されていることで、少し仕事が楽になったと感じています。

「10年前は、各レースとテストで2チーム分12~14のエンジンを毎回用意していました。これはかなり厳しかったですね。いまは基数制限のおかげで数が少なくなったので、少しコントロールしやすくなりました」

テスト回数が少なくなり、パワーユニットの基数制限もできましたが、その一方でヨーロッパ中心部以外でのF1レースは増え続けています。その結果、スミスはレースをフライアウェイとヨーロッパ開催の2種類に分けて対応しなければならなくなりました。

グレアム・スミス

「ヨーロッパ開催のレースでは、必要な書類も少ないのでやりやすいのですが、各会場での梱包やセッティングについての状況はフライアウェイでもあまり変わりません」

ヨーロッパラウンドでは、レース後すぐに資材を梱包します。そして、トラックは夜を徹して走り、拠点へ戻るか、連戦の場合は次のレース会場へ直接移動します。先週末のハンガリーGPのように、レース後にテストがある場合にはすぐ撤収に入らず済むので、少し余裕ができますが、それでも不測の事態による予定変更は起こり得ます。

グレアム・スミス「もし問題が起これば、迅速に対応しなければなりません。無線を聞いてその直後にフライトを予約しなければならないこともあります。常に“これが起きたらこうする”というオプションを持っている必要があるんです」
「グランプリ開催そのものに影響を及ぼす事態が発生することもあります。2001年には、イタリアGPの開催週に9.11のテロ攻撃が起こりました。この悲劇を受けて、Hondaは社の方針としてスタッフを陸路で移動させることを決めました。そのとき私はその日中にモンツァへ向かい、30人のスタッフを英国のブラックネルからイタリアのモンツァへ移動させる手立てをしなければならなかったのです」
「結局、ミラノへ向かう夜行列車を全員分手配しました。まとまった席が確保できなかったので、列車全体に人が散らばってしまい、全車両を何往復もして、全員が乗っているか、寝台がきちんと確保できているかを確認しましたよ」

人員の移動も大変ですが、新しいパーツをレース前にギリギリで運ぶのはさらなる困難を伴います。ただ、限界までパフォーマンスを追求するF1では、頻繁に起こることでもあります。

「レースにギリギリ間に合うフライトで、パーツを人の手で運ぶこともあります。ケータハムにいたときには、こんなことがありました。モナコGPでエキゾーストにヒビが入ってしまい、英国の拠点から運ぶ必要がありました。それが空港に到着したのは日曜日の午前中で、パーツをコースまで運ぶためにサーキットからスクーターで取りに行き、渋滞の中を縫うように走って空港からパドックへ戻ったんです。パーツ交換が完了したのは、ピットレーンオープンのわずか25分前だったんですよ!」

ブダペストでMcLaren-Hondaのガレージを設営していたスミスは、このハンガリーでこんなドラマは起きてほしくないと願っていました。ハンガロリンクは、スミスにとって特別な場所だからです。

グレアム・スミス「ハンガリーは、私が所属していた名門だったブラバムが最後のグランプリを迎えた場所でした。後にチャンピオンとなるデーモン・ヒルがデビューし、予選を通過して決勝も完走した数少ないレースの一つなんです」
「また、ヤマハで仕事をしていた1997年には、デーモンが独走し、アロウズに勝利をもたらす一歩手前という好レースを披露しました。そして、2006年、Hondaでジェンソン・バトンのピットシグナルボードを担当していたときには、彼のF1初勝利に立ち会うこともできたんです」
「そのときは、それまでにないくらいの早さで撤収作業を完了し、チームみんなで喜んだんです。だから、私にとってはとても縁起のいいサーキットなんですよ!」

2017年のハンガリーGP、McLaren-Hondaは予選で2台ともにQ3進出を果たし、決勝では今季初のダブル入賞。スミスの予感は見事に的中し、レース後満足げな表情で片づけに取り組む姿が見られました。

グレアム・スミス
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