10月18日(月)
Lucky Strike B・A・R Hondaは今週、2004年シーズン最終戦を戦うべく、ブラジル・サンパウロへと飛ぶ。舞台は同市郊外の、数々の歴史的なレースが行われたインテルラゴスサーキットである。
チームはシーズン終盤に来てさらに調子を上げ、イタリア、中国、日本の各3戦とも11ポイントをマーク。ジェンソン・バトンと佐藤琢磨はその勢いを駆って、コンストラクターズ選手権2位の座を確定すべく、最終戦を戦う。
GP前週にチームは、スペイン・ヘレスで3日間のテストを敢行。ブラジル人テストドライバーのエンリケ・ベルノルディが、最初の2日間を担当した。ベルノルディはマシンとコースの習熟走行が終わると、2005年に向けての空力評価に集中。2日目には、同じく来年用のタイヤテストを行い、総合7番手のタイムだった。そして最終日には、第3ドライバーのアンソニー・デビッドソンが合流した。デビッドソンはHondaの最新バージョンで102周を周回し、その日の総合8番手だった。
Hondaとブラジルの関係は非常に深い。なかでももっとも有名なのは、サンパウロの生んだ不世出の世界チャンピオン、アイルトン・セナの3度の世界タイトル、そして全41勝中の32勝を、Hondaパワーで勝ち取ったことである。Hondaとブラジルのモータースポーツの縁は、それだけにとどまらない。最近では同国出身のトニー・カナーンが、シーズン終了まで1戦を残して、Hondaエンジンを搭載したマシンで2004年タイトルを決めている。
ブラジルにおけるHonda
・Hondaが同国で2輪車の販売を始めたのは、1960年代後半。その後、2輪・4輪の両方を現地生産するまでになった。
・マナウスにある2輪生産工場は、年間100万台の生産規模を持ち、南米における2輪車市場の拡大に、大きく貢献してきた。
・同工場は1998年10月に、ISO 14001証明(環境管理システムのための国際標準)を取得。Hondaの環境問題へのハイレベルな取り組みを代表するものとなった。
・Hondaは1980年代には、南米で乗用車販売を開始。2輪の成功を反映する形で、1997年に同国内に4輪生産工場を開いた。
・サンパウロから110km離れたスマレにあるアウトモベイス・ド・ブラジルは、Hondaの南米唯一の市販車生産プラントである。
・同国にはこの他、2輪・4輪のR&Dが1ヶ所ずつ置かれている。
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