6月28日(月)
2004年F1シーズンも、次戦フランスGPからいよいよ後半戦に突入する。これまでの9戦で、Lucky Strike B・A・R Hondaは実に7回の表彰台を獲得。最近ではUS-GPで佐藤琢磨が表彰台に上がったのが、記憶に新しいところだ。伝統のインディアナポリスで、佐藤は自己初の3位表彰台を勝ち取った。これは日本人ドライバーとしては、1990年日本GPでの鈴木亜久里以来のものだった。
第10戦フランスGPは、ブルゴーニュ地方にあるマニクール・サーキットで開催される。それに先だってチームは、スペイン・ヘレスで3日間のテストを敢行。同GPに向けてのセットアップやタイヤテストなどが行なわれた。佐藤が最初の2日間を担当し、木曜日には1分17秒415のトップタイムをマーク。ジェンソン・バトンは後半2日間に参加して、金曜日に1分17秒221のタイムで同じように総合トップに立っている。第3ドライバーのアンソニー・デビッドソンは、初日と3日目に走行。合計123周をこなして、最終日に4番手タイムを出した。
テスト終了後はいずれもイギリスに戻り、恒例のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに参加した。今年はHondaの2つの世代を代表する4台のF1マシン、および60年代のGPバイク、そしてイギリス・スーパーバイク選手権を戦うファイヤーブレードが登場した。ほとんどのマシンは、日本の茂木にあるHondaコレクションホールから直接空輸されたものだ。
かつてのHondaドライバー、そして2輪と4輪の両方のGPでチャンピオンになった唯一の存在であるジョン・サーティースが、Honda RA272をドライブ。さらにアンソニー・デビッドソンが、1988年にアイルトン・セナが初めてタイトルを取ったマクラーレン・Honda MP4/4で走行した。また90年と91年のセナのチャンピオンマシン、マクラーレン・Honda 4/5BとMP4/6も、丘の上に展示されていた。一方佐藤とバトンは、昨年型のB・A・R Honda 005で土日の両日、デモ走行を行ない、満場の観客の喝采を浴びた。
フランスにおけるHonda
・Hondaフランスは1964年5月に設立。先月には40周年を祝って、S2000ハードトップバージョンの、限定版40台が発売された。
・1999年にはHonda Motor Europe (South)が発足。フランス、イタリア、スペインを統括するオフィスとなった。
・Hondaフランスは現在、72の乗用車ディーラー、230の2輪ディーラー、そして500以上の汎用、船舶機器ディーラーを擁し、従業員は3700人以上を数える。 |