5月24日(月)
モナコGPでジェンソン・バトンが今季4度目の表彰台を獲得し、意気上がるLucky Strike B・A・R Honda。今季3回組まれている2連戦の最初のレースは、順調なスタートが切れたと言える。今週の第7戦ヨーロッパGPの舞台は、ドイツ・ニュルブルクリンクである。
ドイツ西部、風光明媚なアイフェル地方にあるニュルブルクリンクは、Hondaにとって特別な意味を持つサーキットである。今からちょうど40年前の1964年8月2日、若きアメリカ人ロニー・バックナムのドライビングで、HondaF1がデビューしたのが、まさにここだった。Hondaが四輪車の製造販売を開始して、僅か2年目のことだった。
当初は既存のF1チームと組んで、エンジン供給だけに徹する予定だった。ところが先方からの急なキャンセルによって、Hondaは自らのF1チームを立ち上げ、車体もすべて自製することを余儀なくされる。途方もない困難が予想された。しかしHondaらしいと言えば、これ以上のHondaらしさもない途方のない挑戦だった。彼らはそれを僅か6ヶ月間でやり遂げ、ニュルブルクリンクにやって来たのだった。
ドライバーとしては、当時アメリカのスポーツカーレースで頭角を現していたバックナムを抜擢。その一方でHondaは、マシンのカラーリングも大急ぎで決めなければならなかった。創業者本田宗一郎の強い意向で、RA271は金色に塗られるはずだった。しかしこの色は南アフリカのナショナルカラーとして登録済み。そこでHondaは車体全体をアイボリーカラーにして、フロントカウルに真っ赤な日の丸を付けた。
最初のF1マシンとなったRA271は、7月中旬にヨーロッパに到着。8月初めのドイツGPでのデビューにこぎつけた。しかしマシンもエンジンも、そしてドライバーすらも、事前テストはほとんどなしの、ぶっつけ本番の状態。当時のニュルブルクリンク旧コースは、全長22km、174ものコーナーが控える名うての難コースだった。Honda初のF1マシンは、ハンドリングやエンジンにトラブルが続出し、予選落ちの危機に直面した。しかし主催者側が特例として予備セッションを設けてくれ、規定周回数をなんとか満たし、22台のグリッドの最後尾に付くことができたのだった。
レースでのRA271のポテンシャル自体は高く、バックナムはあっという間に9番手に上がる。しかしニュルブルクリンク名物のジャンピングスポットを何度か越えるうちに、サスペンションを破損。コースオフを喫して、デビュー戦はリタイアに終わったのだったHondaはそのシーズンに更に2戦を戦い、そして翌年の最終戦では、ほとんど不可能と思われていたF1初優勝を遂げるのだった。
Honda F1のこれまでの記録 ・出場回数 259 ・優勝回数 71 ・ポールポジション回数 75 ・F1初優勝 1965年メキシコGP(HondaRA272、リッチー・ギンサー) ・F1初ポール 1968年イタリアGP(HondaRA301、ジョン・サーティース) ・コンストラクターズ選手権初制覇 1986年ウィリアムズ・Honda、ピケ/マンセル ・ドライバーズ選手権初制覇 1987年ウィリアムズ・Honda、ネルソン・ピケ ・ドライバーズ選手権5年連続獲得 ・コンストラクターズ選手権6年連続獲得
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