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勝利の味 佐野教授の「60's Honda F1物語」

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メキシコ初勝利の秘密
(佐野彰一×高木理恵) 

1965年10月24日。とうとう、その日がやってきた!
リッチ―・ギンサー選手が操るHonda F1マシンが、メキシコで初優勝を決めた。HondaがF1に参戦してから、わずか11戦目のことだった。このときの佐野さんの感動は、大変なものだったのでは?

――初優勝の瞬間って、佐野さんは、どこにいらしたのですか?

「それが……(笑)。私は、勝てるなんて思っていなかったんで、どうせ今回もだめだろうと思って、会社を休んじゃったんですよ」

――感動の瞬間に、会社にいなかったんですか!? ウワ〜、もったいない!

「そうなんですよ。それで家に会社から電話があって、『優勝したぞ!』と言われてね。 私は、はじめはウソだろうと思っていたんですが、最初びっくりしていたら、どうやら本当らしくて (笑) 」

――それから、会社へ?

「練馬のメキシコ料理屋でお祝いするから来いって言われたんです。でも、それには行かなかった。何かズル休みをしていて、ちょっと恥ずかしいということもあってね」

――じゃ、何もお祝いをしなかったんですか? それは、ちょっと淋しすぎます……。

「いや、そのあと、旅館に泊まっての祝賀会をやらせてもらいました。それには、ちゃんと行きました(笑)。昼間から温泉に入って、一杯飲んで……」

――それを聞いて、安心しました。ところで、何でメキシコでは勝てないなと思っていらしたんですか?

「ウーン……そうですね、それまでエンジンがいつも壊れていたし。また、仮にエンジンが壊れないとしても、どうせ速くは走れないだろうと思っていたので」

――あら、あんまり期待されてなかったんですね。でも、勝ったということは、メキシコのマシンには何か新しい変化があったとか?

「あ、それはあります。実はそれまで、クルマがちょっとオーバーヒート気味だったので、夏休み返上で改造をしていたんですね。
それと、重心が高くて操縦性がスポイルされているということもあった。だから、クルマの重心をもっと下げたかった。

オーバーヒートの対策としては、エンジンと車体の間に少し隙間を開けるということをしました。
それで、エンジンを55mm下げたのかな、クランクセンターを。オイルパンは全部作り直しましたね、エンジン屋さんが。
車体の私の方は、横のトラフを全部作り直して、また、ホイールベースも伸ばして……ということをやりました。これによって、車体の後ろとエンジンとの間に、隙間が開く。これで風を入れるようにしたんです」


――メキシコでは、そのクルマが走ったんですね?

「(改良された)このクルマが初めて走ったのは、その一戦前のUSグランプリでした。でも、あまり成績はよくなかったんですね。で、USでまったくだめだったので、これは(メキシコでも)だめだろうなと思ってたわけです」

――そんなクルマが、なぜ、メキシコでは勝てたんでしょう?

「Hondaのエンジンのパワフルさ、これが見事に役に立った。
というのは、メキシコは気圧が低いので、所定のパワーが出ない。だから(負担がかからず)エンジンが壊れない。 ただ、パワー不足といっても、それはあくまでもHondaエンジンとしてはパワーが出ていないということで、他チームはもっと出てなかった。したがって、そこに明らかなHondaの優位性がありました。
まああれは、そういう立地条件に助けられた勝利だったかもしれません。だから、あまり大きな声ではいえない……(笑)」


――パワーが出なかったから勝てたなんて、うーん、意外ですねえ!

「マシンとしては、ほんとうは耐久性やバランスが崩れていたでしょう。でも、そんなマシンが破綻しなかったのは、気圧が低かったおかげ……。
これ、やっと最近になって私にもわかってきた。あまり人にはいいたくないんですけどね。
でも、こんなおもしろいことも起こるんだから、いろんなところでレースをやるというのはイイことですね!(笑)」


パワーが出てなかったから、勝てた……。
でも、耐久性とか考えて、また勝とうとして、もしHondaとしてパワーを下げていたら、メキシコでのあの勝利はなかったはず。勝利の女神は、あの日、Hondaのマシンだけを見ていた気がします。
ウ〜ン、知れば知るほど、F1というものはおもしろい!

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