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勝利の味 佐野教授の「60's Honda F1物語」
車体テストの時間はなかった
(佐野彰一×高木理恵)
私のようなF1ファンは、レースそのものはもちろん、各チームのテスト結果なども気になってしまう。ひいきのチームは、ロングランテストをトラブルもなく終えた、一方ライバルチームはエンジンブローしたらしい……など、細かくチェックする。

――さて佐野さん、素人でさえ気になるこのテストですが、Hondaはどこでやっていたのでしょう?

「鈴鹿ですね。はじめの頃は新幹線がなかったんで、“ヤマト”という夜行列車で四日市まで行って、そこで明け方に近鉄に乗り換えていました。あるいは、エライ人と一緒の時は、名古屋からタクシーということもあった」

――うわー、サーキットに行くだけで疲れてしまいそう! そんな時間のかかる旅じゃ、頻繁にテストを行うと、それだけでクタクタになってしまいますね。
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1964年に行なわれたRA271の初めての鈴鹿テスト。右から二人目がドライバーのバックナム。左から3人目に佐野さんが見える。
「いや……。実は、あまりできてなかったんですね、テストは。最初のうちは、まともに乗れるドライバーがいなかったんじゃないかな。 ニュルブルクリンクに持っていったクルマは、あれ、テストってやったのかなあ、日本で……(笑)」

――信じられない! そんなので大丈夫だったのですか?

「当時は私も下働きだったので、テストの細かいことはあまり詳しくないんですけどね。テストに立ち会うようになったのは、RA272あたりからですので。でも、そのマシンにしても、あまり日本では走らなかったなあ。 むしろ、シーズンが終わってから、次の年のためにテストをしていましたね。272を走らせていたときにサスペンションがグズグズになっちゃって、大至急手を入れたことがありましたが、それ以外は、あまりなかったです」

――テストの少なさは、自信があったから……?

「いえいえ(笑)。エンジンが、なかなか(テスト)ベンチから降りてこないんですよ。要するに(所定の)馬力が出ないと、本田(宗一郎)さんがいいと言わないでしょ。だから、みんなしてエンジンの馬力を出そうとする。そうすると、エンジンが壊れちゃう(笑)。だから、馬力が出ないか壊れちゃうかのどっちかで、だから、どっちにしてもベンチから降りない(笑)。エンジンが来ないということは、車体が完成しないということですから、(車体全体の)テストなんかする暇がなかったですね」

――なんか、聞いているだけで胃がキリキリする……(笑)。
エンジンがいつできあがるのか予想がつかないなんて……。

「ベンチからエンジンが降りる時って、要するに時間切れの時なんですよ(笑)。もう、このへんで(ベンチから)降ろさないと(マシン全体の)組み立てが間に合わない。ここで組まないと、飛行機で輸送できなくなる――。そういう状況になって、はじめてエンジンが来る。

だから、車体側は辛かったですね。馬力のこと、どのくらいパワーが出ているのかというのは、ある程度ベンチで(把握が)できますよね。でも、車体は走ってみないとわからない。でも、その時間はない。エンジンができたときが(マシンの)完成のとき、でねえ……(笑)」


むむ、ギリギリの状態でマシンを作っていたHonda勢。 入念なテストが当たり前となっているいまのF1からは、まるで想像できないムチャクチャなスケジュールで進行していたとは……。
Honda F1を作った人々は、スーパーマン軍団だったのか!?
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