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Hondaの挑戦がはじまった! 佐野教授の「60's Honda F1物語」

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ローラ社で突貫工事中のRA300。ホンダとのマシン作りの“やり方の違い”が佐野さんを驚かせた。
ローラというパートナー
(佐野彰一×高木理恵) 

ずっとHondaでレーシングカーの車体開発をしてきた佐野さんは、1967年の夏にイギリスに渡ります。もちろん、観光などといったノンビリした旅ではありません。イギリス行きの目的は、レーシングカー製作の「ローラ」社でスタッフといっしょにクルマの開発をすることでした。日本を離れ、他の工場で車体作りをするというのは、どんな日々だったのでしょう?

――イギリスへ行かれた理由は、車体作りの「勉強」だったのですか?

「いいえ、もう、そういうレベルではなかった。ローラには、次期型のRA300を成功させるという目的で行きました。きちんとしたクルマにして、夏休み開けの9月のイタリアGPに間に合わせるようにしろ、そのために現地に行け、そういうことです」

――どのくらい滞在されていたのでしょう?

「6月から9月の3ヵ月弱だったと思います。べつにホームシックにもなりませんでした(笑)。時間があれば、美術館に行ったりして……。美術館というのは、いまでも私の好きな場所でもありますから」

――言葉の壁といったものはなかった?

「実は、私は『英会話』というものに一切の興味がなかった(笑)。ですから、そういう準備はまったくやっていなかった。普通、大学には English Speaking Society といったものがあって、ちょっと先が見えている人だったら、そういうものに参加していたんでしょうけどね。ただ、ぼくはもともと内気だったし(笑)。
でもF1を始めてからは、ドライバーたちと付き合わなくちゃいけないから、急きょソニーのオープンリールのテープレコーダーを買ってきて、ラジオの英会話番組を録音して勉強しました」


――そんな佐野さんが出張されたイギリス、そしてローラ社というのは、どんなところだったんでしょう?

「そうですね、ローラは、Hondaと全然クルマの作り方が違う。このことに、まずびっくりしました。
Hondaは、たとえどんなに短いブレーキパイプであっても、まず設計者が図面(設計図)を描いて、それによって部品を作ります。そうやってできあがった部品を、メカニックが組む。いわば、図面至上主義ですね。だけど、ローラはそうではなかった。
また、会社の中が階層になっていて、上の人間はおおまかなことしかやらなくて、下で働く人間が細かいことをやっていた。そんな風にも見えました」


――役割がはっきりしていたんですね?

「ええ。それと、エキパイ屋さん(エキゾーストパイプを作る人)とかカウル屋さん(ボディカウル担当)とか、(技術を持った人の)底辺が広くて、そういう専門の人がドンドン動いてくれるということにも驚きました。 そういえば、ワイヤーハーネス(配線)の担当は、フォードから来ていたアルバイトだったんですけど、彼が『お前のレベルだったらフォードでこれくらいの給料をもらえる、来る気はないか?』と聞いてきたことがありました。それが、結構いい数字でね……(笑)」

――あ、心は動きませんでしたか?

「その時はよかったとしても、ずっと働くにはね……」

――ウーン、私だったら飛びついていたかも(笑)。

「Hondaと違うことはほかにもあって、たとえば、新しいクルマを作ろうというときに、1分の1の外観図を作りますね。
そのときにローラでは、リンゴ箱のようなものに板を置いて、その上でトレーシングペーパーにササッと大きさを確認する輪郭を描くだけ。あとは、小さな紙に色鉛筆で、素材の板をどんな風に組もうかという見取り図を描いて、それで終わり。それを工場長に渡す」


――図面は簡単にしておいて、そこから作っていく?

「そう。それと、もうひとつHondaとローラが違っていたことは、Hondaの組み立ての人っていうのは物を作らなかったこと」

――でも、組み立てる人というのは、そもそも……?

「そう、できてきた部品を組み立てる。それが業務ですよね。だからHondaでは、きちんと図面を描いて、あらかじめモノを発注しておく必要があるわけ。
その結果、いざ組み立ての時には、すでに部品ができていて、それが全部並んでいて、ひとつずつ組んでいくことになります」


――え!? ローラ社ではそうじゃないんですか?

「ローラでは、ブレーキのブラケットみたいな(簡単な)ものは、メカニックが組み立ての段階で作っちゃう。だからメカニックというのは、単なる組み立て担当じゃなくて、モノを“作る人”なんです。
傑作だったのは、オイル・キャッチタンクですね。RA300の横に三角錐みたいのが付いているんですけど、あれは、トニー・サウスゲート(ローラ社のデザイナー)が鉄の棒をつないだ、まだ骨だけの格好でしかないものを現場に持って行って、その場で『これ、作って』って言っちゃう(笑)。だから、図面は描いてない。あのタンクは、実はそうやってできた」


うーむ、何ともゆったりとした空気。 また一方では、イギリスの職人さんたちの“凄み”みたいなものも伝わってくるお話です。
そして、そうしたローラとのジョイントから「勝てるクルマ」が生まれます。こうして作られたRA300は、後に、佐野さんとHondaに大きな喜びをもたらすことになるのでした。

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