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Hondaの挑戦がはじまった! 佐野教授の「60's Honda F1物語」

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トランスポーターの質素さも時代を象徴する。
電話もテレックスも、信じがたく遅かった!
(佐野彰一×高木理恵) 

F1といえば、技術を駆使しているハイテクなレースですが、その周辺の「情報」といった面では、60年代の状況はどうだったのでしょうか? 当時はまだ、メールやファックスもなかったはず。しかし、レースはいまと同じように世界中で行われていましたから、大変だったことは間違いありません。

――あのぅ、電子メールなんかはもちろんなかったはずで、ということは、レースの結果などは電話で知らされていたんですか?

「そうですね、当時はいまのように他の情報システムがありませんから、現地からの電話が頼りでした」

――でも、その電話の状況もあまりよくなかったのでは?

「その通りです!(笑) 国際電話は予約しないとだめで、何時間後に通じるかはわからない。日本でもそうやって待っていたんですが、でも、向こうでも同じだったんじゃないかな?
それで、ようやくつながっても、雑音が入ったり、音が大きくなったり小さくなったりしてね(笑)。すごく聞きにくかった」


――電話を予約するんですか!? それはスゴい話ですね(笑)。

「だいたい、ついこの間まで、和光の研究所の中に国際電話室という部屋がありましたからね。壁にパンチングボードみたいのを貼って、反響が少ないようにして。
そしてソニーの大きなオープンリールのテープレコーダーで、国際電話は録音しながら聞いていたんですよ。でも、肝心なところが、何度聞き直してもわからなかったりね(笑)。とにかく不便だったな」


――コミュニケーションが取りづらいと、何かとトラブルが発生しませんか?

「ええ。たとえばマシントラブルが起こると、こんな状況だ、対策をしてくれ、という連絡が入る。でも、現地では対策方法がわからないので、現象だけを言ってきます。日本のチームに救いを求めるんですね。
こっち(日本側)は推測で、何らかの対策を考えてモノを作って送るんですが、あまり成績が悪いのが続くと、だんだん現地のチームと日本のチームの間に不信感が芽生えちゃうんですね」


――お互いに責任を押し付けちゃうとか?

「そう。あいつら、ミスしたのに、隠しているんじゃないか、本当のことを言っていないんじゃないかなどと考えちゃって……。そういう心理的なあつれきもありました」

――とことん話し合う時間もあまりなかったんですか?

「当時は、しょっちゅう電話でやり取りするわけにもいかなかったんですよ。だから、コミュニケーションをとるということは、本当に大切だと思いますね。
いいエンジンを作って送っても、何で成績が悪いんだ? 何かしくじったんじゃないか、と疑ってしまって……。(Hondaにとっては)距離とコミュニケーションのハンディは、きびしいものがありました」


――電話以外の手段は何もなかったんですか?

「えーと……、あ、テレックスがありましたね。でも、あれでも失敗したことがあったなあ!(笑)
あの、テレックスが届いたんですが、何度も何度も「STOP」と書いてある。だから、やめてしまうんだと思ったんですけど、あとで聞いたら、テレックスではピリオドの変わりに“STOP”と打つんだそうで(笑)
ですから、随分あとになって(80年代に)レースを見せてもらったとき、ピットの後ろのトランスポーターの中にあるファックスから、日本の研究所に直接、結果などを送れると聞いて、これは夢みたいだと思ってしまいました(笑)」


いや〜、知れば知るほど、大変なことがいっぱいあったんですね。まさか、国際電話をかけるのに、予約が必要だったとは!
ほかにも面倒くさいことや、苦しいことが山のようにあったと思いますが、そんな中で勝てるマシンを作ってF1に参戦していたHondaはエライぞ! 脱帽!

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