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F1その見知らぬ世界 佐野教授の「60's Honda F1物語」
新素材はふんだんに使えたが
(佐野彰一×高木理恵)
現代のF1は、素材も技術もレベルアップしています。でも、Hondaが初めてF1に参戦した頃は、何かと限られていたのだと思います。

――佐野さんがいよいよボディを作りはじめるというときに、最初にされたことというのは何だったのでしょうか?
イラスト
「まず、木型でボディを作りました。そして、車体の素材にはジュラルミンを使うことにしたんです。カタログで見ると、当時、このジュラルミンというのが一番丈夫だったし(笑)。

でも、ジュラルミンは単純な“曲げ”しかできないので、果たして、どんな格好ができるのかな、と。そして、前の断面が小さくて、後ろに行くにつれて少しずつ大きくなっていくような木型を、まず手作りで作った。こうやって外形の寸法を決めて、そして(ボディ)外板の図面を描いたという流れでしたね」


――なるほど〜、ジュラルミンが当時、最先端をいく素材だったんですね?

「それがね、大笑いなんですが、ジュラルミンというのは、実は熱処理をしないと本当の強度はでない。で、熱処理をすると、今度はバネみたいにビンビンになっちゃって、とても曲げられない(加工できなくなる)。だから、ナマのうちにあらかじめ曲げといて、熱処理をしないといけないんですね。でも、私は航空(学科)の出身ですが、そういう現実的なことは何も教えてくれない、大学って(笑)。

で、後でわかったことなんですが、ジュラルミンの熱処理って大変だった!
ソルトバスといって、塩化カリュウムを溶かして、その中に浸けるんです。そしてすぐ取り出して、水で冷す。こうすることによって「熱処理」されるんです。

ところが、そんな大きなソルトバスなんてないわけですよ。飛行機(を作る)会社にはあったかもしれないけど、当然、うちの会社にはない(笑)。だから、せっかくのジェラルミンだったけど、それを硬くして使うというか、きちんと使いこなしているわけではなかったんですね。

まあ、いろんなことに、いかに無知だったか……。
でも会社の誰ひとりとしてそういったことは知らなかったので、べつに責められませんでしたけどね(笑)」


――うーん、イイ会社……なのかな? で、そのジュラルミン事件のあとは、スムーズに進んだのでしょうか?

「いやいや!(笑)バルクヘッドはサスペンションのボルトが出ていたり、エンジンを付けるパイプが出ていたりするから、これはアルミじゃ作れないということで、鉄板で作ることになってね。 鉄板は、2輪の連中が高張力鋼鈑というものをすでに使っていたので、これで行こう、と。

これは、当時、鉄橋とか船に使われていた、非常に強度があるものだったんです。 でも、まだ、薄い板というのがなかった。 でも鉄板屋さんがHondaの2輪のために、特製の薄い板を作っていると聞いたんですね。

その薄さが、1.6mmまでなら作れるというから、じゃあそれを採用するという前提で、図面を描いてみた。そしたら、板金屋さんに呼ばれちゃってね。「いいから、この板、曲げてみろ」って……。

板に軽量化のために穴を開けるんだけど、ただ穴をあけるだけじゃ弱すぎるので、その穴のふちを「縁取り」――バーリングというんですが、それをするんですね。そのために、図面には半径2mmくらいに曲げるという指示があった。私は鉄板だから、キュッとやれば曲がると思っていたけど、違ったんですね、これが(笑)。

次に板金屋さんが、私にハンマーを押し付けて、これで叩いてみろって言うから、叩いてみた。そしたら、ハンマーが跳ね返されちゃって、凄かったね!(笑) それで、何でこんな図面を描くんだ!?と、さんざん怒られまして……。

その時思ったのは、設計者って権限あるんだな、できないこともやらせちゃうんだな(笑)ということが、ひとつ。そして、ああ、やっぱりいろんなことを知らないと、たくさんの人に迷惑かけちゃうんだな、ということでしたね」


F1マシンを作る現場はピリピリしているものだと思い込んでいたけど、当時はまだ探っている状態だったからか、どことなくリラックスした感じもします。「無知」という言葉を使われた佐野さんですが、その「無知」が当時、最高の武器だったのかもしれないですね。
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