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F1その見知らぬ世界 佐野教授の「60's Honda F1物語」
「そんな図面は描けません!」
(佐野彰一×高木理恵)
Hondaが誰の手も借りず、独自でF1のボディを設計することになったとき、佐野さんに白羽の矢が立った。 佐野青年、このとき26歳。突然の大役に、どんな反応を示したか!?

「ある日、シャシーグループの親方に、F1の車体を設計しろと言われたんです。
写真
製図板の前にたたずむ佐野さん。F1のボディ設計を命じられたのは、東大を卒業して4年目のことだった。
でも、車体って、曲面でしょう? あんなものの図面の描き方なんか知らないわけですよ」

――あれ? でも、入社当時、図面がうまいと誉められたとかおっしゃってませんでした?

「いやいや、それは、ナットとかボルトとか、そういう機械要素としてのものが描けるというだけの話。 飛行機も同じなんですが、ソリッドモデルを作るときに、等高線みたいのをずっと描いていって(全体の)形を表すことは知っていた。でも、車体を形成する『板』の部品図を、どうやって描いたらいいのかはわからなかった。だから、『やるのはいいですけど、図面は描けません……』って言ったら、『いや、図面は、それを描ける奴を付けてやる』って言われましてね(笑)。

でも、その図面を描いてくれた人が素晴らしい人でした。 私が基本的な寸法を書いて、木を削って1/5くらいのボディを作って見せると、そこからすばやく部品図を描いてくれて……。私がF1のボディを設計したということになってますけど、実際は、基本コンセプトこそやりましたが、実は部品図は描いていなかった。バルクヘッドみたいな平面は何とか描けても、側面の曲面ボディの外版なんか、とても描けるものじゃなかった」


――でも、そうやって佐野さんが抜擢されたということは、周りの人たちから、めちゃくちゃ期待されていたということですよね!

「うーん、入社して、まだ丸4年たっていなかったんですよ。とにかく新入りでしたから、上のほうでどんな議論があったのかは、まったく知らないんです。でも、あいつしかいないとか、そんな風に思われていたのかなあ……? 

というのはその前に、RA270というクルマを、クーパーの見よう見まねでパイプフレームを組み合わせて、それまで2輪レーサーを設計していた連中が作っていたんです。だけど、今度私たちが作らなくちゃいけないのは、(パイプフレームではなく)“板もの”ですからね。何にもノウハウがないし、見本になるものもない。

で、(その新しいF1は)これは飛行機の胴体のようなものだから、『あいつは大学で専門に勉強していたはずだ』ってことで、やらせようということになったのかもしれない(笑)。何にしても、そんな若造にやらせなくちゃいけなかったというのは、いかに、ほかに人がいなかったということですね(笑)」


名設計者が、設計の基本中の基本である図面(設計図)を描けなかったとは、なんとも意外な発見。
でも、佐野さんが知らなかったのは、図面の描き方だけではなかったんです!
HondaのF1マシンが誕生するまでには、まだまだいくつものハードルがあったのだった!
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