MENU

HONDA

検索

バイク少年本田技研へ 佐野教授の「60's Honda F1物語」
「本田さん」は“一日決済”の人
(佐野彰一×高木理恵)
「本田宗一郎」という人を、私は何度かテレビで見たことがあるし、また、さまざまな伝説を聞いたこともある。でも、実際現場ではどういう上司だったのかな? そのへんを、ぜひ、佐野さんにお聞きしてみたい! (ちなみに佐野さんは、「オヤジさん」とか「お父さん」とかではなく、必ず「本田さん」という呼び方をされてました)
写真
本田宗一郎さんは、一日決裁の人だった。一度言い出したら聞かない。写真は後に、“人魂実験”をした時のもの。人魂チーフの佐野さんは、後列左から二人目。
「入社して一年くらい経ったときの1961年に、Hondaの研究所が、いまの和光市に移ります。その頃からかな、私にも、ようやくHondaの本質が解ってきた。この会社では、何を聞いても誰もまともに答えてくれないけど、でも、とにかくみんな、よく働くって……(笑)。

というのは、毎朝のように、『あの件はどうだった?』と本田さんが私たちのところに来る。だから現場では、じゃ、ああしよう、こうしようと話してました。場合によっては、本田さんは廊下に座り込んじゃって、「オイ、チョークよこせ!」と言って、床に図面を描きはじめたりする。

そして、そうやって本田さんの話を聞いた人は、次の日までに、必ずその結果を出して、報告しないといけない。あれをやってみましたが、こうなりましたとかね。それだけでもけっこう大変なんですが、さらに、本田さんのアイディアというのは、決してひとつだけじゃないんですよ!(笑)

(本田さんから)こうやればいい、ああやればいいと、いくつもアイデアを言われて、それから設計してモノを作りはじめますよね。設計は、はじめからやり直しです。加工する人は、設計図ができるのを待って、そのコピーを――当時は“青焼き”っていってましたけど、それをみんなに回して、夕方になって、ようやくひとつモノができあがる。 だから、それをエンジンに組み込んで、テストしようというときには、もう夜ですよね」


――あ、全部を一日でやるんですか!? そんな無茶な……!

「まあ、当時のバイクのエンジンなんかは、かなり単純でしたから。それに、Hondaの全部がそういう体制になっていましたからね。テストする人にしても、そういう覚悟ができていた(笑)。

ということで、部品が夜にできて、テストを開始するのが、ようやく夜半からということになります。 そうこうしていると、もう次の日の朝になっていて、すると、朝早くから、また本田さんがやって来る。 おい、どうだった?(笑)そこでまともに答えられないと、それこそ殴られちゃいますから。ま、人使いが荒いというか……(笑)。

でも、伝票を書けとか、そういう事務的なプロセスに関しては、あまりうるさいことは言わないんですよ。 でも、そうやって仕事をしながら、この会社はけっこう凄い会社だな、と思いましたね。
何でもが、『一日勝負』でしたけど(笑)」


うーん、現代の若者がそんな現場にほうり込まれたら、大半は即、やめてしまうだろうなあ。 でも、とびっきりハードな職場だったはずなのに、なんとなくうらやましく感じてしまうのはナゼだろう……?
トップページへ戻る 次のページへ
佐野教授の60’s F1物語へ 丸野エンジニアの手記へ 幻のHondaインディ計画へ 佐野教授とコレクションホールを行くへ 佐野教授の手紙へ 時代背景へ