MENU

HONDA

検索

バイク少年本田技研へ 佐野教授の「60's Honda F1物語」
東大にクライスラーがやってきた日
(佐野彰一×高木理恵)
1959年、佐野さんは大学四年。大学に来た求人票を見て、Hondaに連絡を取った。

――あのー、ちょっと見学でもしようかな〜という軽い気持ちでいたら、大変なことになったそうですね?
イラスト
「そうなんですよ(笑)。『Hondaに見学に行くか』ってちょっと言ったら、すごいクライスラーがね。運転手付きのクルマが、ブワ〜っと大学まで迎えに来ちゃって……」

―――ウオ〜! 映画みたいですね! しかし、いきなりそんな派手な演出をするHondaもかっこいいけど、佐野さんの成績もかなり優秀だったのでは?

「いやいや……(笑)。でも、あれは何だったんだろう? 本田(宗一郎)さんの自家用車だったのかな? でも、クライスラーなんかに乗るはずがないな、といまでも不思議なんですが、お尻がピッと立った立派なクルマでした」

――そこまでされちゃうと、入社するしかないですね。

「Hondaは熱意があるというか、求人に対して、すごく期待をしているということだったのかもしれないですね。ともかく、私のHondaとの出会いは、そんな調子だったんです」

――家族の人に外車が迎えにきた!という話をしたら、みんなバンバンザイだったのでは?

「それがね、親戚には随分言われちゃって。お前、なんでせっかく東大出て、Hondaになんか入ったんだ? お役人にでもなればよかったに、と――」

――当時を考えてみると、Hondaは今ほど大きくなかったんでしょうし、その親戚の方の気持ちもわかるような気はします。でも、佐野さんの中では、あのガタのまったくなかったHondaドリームのエンジンが忘れられなかったのでは?

「親父とはいつも、Hondaなんかどうしようもないクルマだとか、量産車持って行ってブラジルでレースをやった、とんでもない会社だという調子でしゃべっていました。それと、親父はチャンネルフレームが嫌いでね。私も、感覚的には好きでなかったんだけど。でも、裏付けというか、Hondaは意外にいい会社だという、自分なりの判断基準は持っていましたよ」

こうして、周囲の反対もあったが、無事、Hondaに入社。
Hondaドリームのエンジンを見てバイクを作ってみたいと思った佐野さんですが、それだけでなく、やはりあの立派なクライスラーも、彼の心をちょっとだけ揺さぶったのでしょうか? でも小心者の私は、そのことは最後までおたずねできませんでした。
トップページへ戻る 次のページへ
佐野教授の60’s F1物語へ 丸野エンジニアの手記へ 幻のHondaインディ計画へ 佐野教授とコレクションホールを行くへ 佐野教授の手紙へ 時代背景へ