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バイク少年本田技研へ 佐野教授の「60's Honda F1物語」
メグロとドリームはどこが違っていたか?
(佐野彰一×高木理恵)
いまでは、各家庭にクルマが何台かあってもビックリはしないが、佐野さんが10代のころに、自宅にはクルマもバイクもあったということなので、それはちょっとびっくり。というか、お坊ちゃまだったんですね……うらやましい。さて、そんな贅沢な環境にいた佐野さんですが、とにかくバイクが好きだったようです。
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佐野さんはもっぱらメグロのバイクを愛好していた。しかし、ある日部品屋で見たHondaのエンジンが考え方を一変させるのだった。
「(バイクには)もう、しょっちゅう乗っていて、大阪や新潟まで行ったこともありまして……(笑)。当時、東海道はまだ、全部が舗装されていませんでしたけどね。

そ、それは……。かなり好きじゃないと、舗装されてない道で大阪や新潟まで行かないだろうな(笑)。佐野さんは、デコボコ路面なんか気にしない、熱いバイク少年だったんですね! 
――で、そのころから、もうすでにHonda派?

「いや、親父が乗っていたバイクは、メグロでした。当時、Hondaはまだ小さいバイクしか作ってなくて――。で、一緒に走っているとうるさくてね(笑)。マトワリついて、ナマイキな奴だ!という感じだったな」

――あら、ま。じゃ、なぜ、Hondaに?

「メグロは貫禄あって、老舗で、伝統があったけど、すぐにエンジンが減ったり、具合悪くなることも多くてね。ま、好きですから、そういうのも趣味のうちということで、親父といっしょにエンジンばらして、ボーリングして大きなピストン入れたりとか、そういうことをしょっちゅうやっていた。それで、上野あたりにボーリングをやってくれる工場がたくさんあったんで、あるところに頼んでいたうちのエンジンが出来上がったというんで、取りに行ったんです。

すると、そこに、Hondaのエンジンがゴロゴロ転がっていてね。メグロのシリンダーが減るのはしょうがないとして、でも、クランク機能にすぐガタがでるのがどうも気になっていた。で、そこに、たまたまシリンダーヘッドがはずれているHondaエンジンがあったから、ちょっと動かしてみたんですよ。そうしたら、まったくガタがないの!」


――それで印象がガラッと変わったんですね?

「ええ。Hondaって青臭い会社だと思っていたんだけど、すごくいい設計をしていて、そして加工でも精度が高いと思ってね。Hondaという会社は、案外しっかりとした会社かもしれないな、と。そういうところでバイクを設計できたらいいなあって。まあ、単にバイクが好きなだけで、発想は幼稚だったんですけどね(笑)」

あの日、佐野さん自身が上野へエンジンを取りに行ってなかったら、彼の中でのHondaのイメージが変わることはなかったかもしれない。
これもひとつの「運命の出会い」!
1950年代の上野での出来事に、ちょっぴりロマンチックな気分に浸る私でした。
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