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佐野教授の手紙
9月26日アメリカからその1
挑戦3年目を迎えたHondaF1とともに初の海外出張に出た

 見送り有難うございました。無事アメリカホンダに着き先発隊の務をはたしました。
 とにかく百聞一見にしかずとは全くこのことです。ロスアンゼルスがアメリカ一番の近代的な都市である事もありますが、スケールの大きさに肝をつぶしました。第一に飛行場です。ロスの飛行場は国際線と国内線が別なのは当然ですが、国内線は一つの会社が羽田のターミナルより大きなビルを持っていて、それが10以上ならんでいます。滑走路も多く、一度に多くの飛行機が離着陸しています。飛行機が多いのも驚きです。次に道路ですが此が最もすばらしく、感激してしまいます。日本の高速道路の5倍〜8倍の大きさで、網の目の様に走っています。しかも小さな横道でもインターチェンジが完備していて、このフリーウエ−同志(Signal free=信号にわずらわされないとの意)の交差点は完全なクローバーのインターチェンジが有り、車はスピードを殆んどゆるめずに別の道に入れます。
 フリーウエーは大体5〜3車線ですが、それでもラッシュ時は大型車が続いてしまいます。速度制限は75mile/hと45mile/lの間です。しかし道がすいていたり、夜などは90mile/h以上で走る事も多く、ハイウエーパトロールにつかまっている車も見られます。到着の22日はさっそくロスの北30mileぐらいに有るブレーキ工場へ行きましたが、通勤時間だったので車がフリーウエーにつながって各車の排気ガスで眼は痛くなるし、暑いし往生しました。アメリカが排気ガスの規制をやろうとしているのはけして高級な事では無く、必要にせまられているのです。車の安全も同様で、フリーウエーでの一瞬のまちがいが大事故を起す事になります。
 23日は朝からホイール屋に行きましたが、アメホンの技術者と仲良くなって、それ以来彼(もちろんアメリカ人)と2人で気軽に出かけます。彼はアメリカでホンダスポーツを販売するための予備テストの主任もやっています。年は24だそうですけれど大変頼りになり、良くやってくれます(明日も彼にやっかいにならなくてはなりません)。午后チームが全員到着しましたが、僕があまり調子良くやっているので、「一日のハンデは大きいな」と感心していました。
 夜は到着を祝ってKYOTOという日本料理屋へ行きました。実はここは到着の日にアメホンの人に連れて行ってもらったところで、かにやさしみは日本でたべられない程おいしいのですが、いささか二度目は乗り気がしませんでした。アメリカへ来た以上アメリカの食事をしたいと思いました。
 24日は車の最終整備をやって、借しトラック、乗用車をつらねて、フリーウエーをたどってリバーサイドに移動しました。リバーサイドのホテルが問題で(リバーサイドとはロスの西南西50マイル程にあるカリフオルニア大学の有る町ですが)100年以上前に建てられた歴史的な観光名所の一つなのですが、古くて、いやです。しかし非常におちついた上品なホテルがロスのホテル(ドライブイン的な)と全く対称的です。僕はロスのドライブインを好みます(今手紙を書いているところ)。リバーサイドのテストコースは町の南東に在り、マーチ・エアーベスのすぐ北です。ひどい所で昼の暑さは所沢の最高並ですが、みんな親切です。テストは25日朝から夕方までやりましたが、例によってキンサーが敏感なので苦労します。車が左に曲りたがるので直してくれと云われ、ぶつぶつ不平を云うメカニック達を何とかなだめすかして夜8時頃まで残業して原因を発見し直しました。


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