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佐野教授の手紙
8月13日イギリスからその3
感心しきりのロンドン市街見物を報告する

 皆様元気ですか? その後の状況をお知らせします。
 御存知と思いますが、ドイツGPは残念ながら4位に終りました。しかし現在の実力から考えると妥当な所かもしれません。仕事の方は月曜には大巾に進展し、設計屋が一人増えたので、見通しは明るい様です。
 夜中にチームの連中が帰って来るので、ごはんをたいて、豚汁を作って待っていました。予定より少し遅くなりましたが、2時(午前)に元気で帰って来たので、又急ににぎやかになりました。
 メカニックの二人はもう特に仕事が有りません。古くなったエンジンを東京へ返送する準備で火曜は終り、水曜はイギリスホンダが僕の歓迎とメカニック、中村さんの送別を兼ねて食事に招待してくれたので、ピカデリーサーカスの近くのイタリア料理へ行きました。料理はあまりうまくありませんでした。二次会にその近くのキャバレーに行き、フラットに着いたのは2時すぎでした。
 木曜は二人のメカが日本へ帰るので空港まで送って行きました。金曜はいよいよまもなく僕一人留守番になるのでホンダU.K.から借りていたS800を返しに中村さんがコルチナ、僕がS800を運転してM4を通ってホンダU.K.まで行きましたが、頂度昼食時分だったのでホンダU.K.の所長の向山さん(彼は少し以前に研究所の総務課長だったので良く知っているわけですが)が天丼を食べようといいだして、ロンドン唯一のジャパニーズレストランへ行きました。大きなエビが三つものっている日本でもあまり食べられないデラックスなやつを食べましたが、一人前800円ぐらいです。デラックスなので当然ですが、久し振りにうまいと思いました。
 帰りは中村さんが日本へ帰る土産を買うと云うので、そこから又ロンドンの中心へ行って中村さんを車からおろし、我々はホンダU.K.に帰り、そこから僕一人でコルチナを運転してローラに戻って来ました。
 朝から大物図面を画きかけていたので、ローラの連中が今日中に完成出来るかと云うので、もちろん出来ると云ってやったら、もし出来なければHARA-KIRIだと云うので大笑いしました。HARA-KIRIは彼らが知っていたのです。彼らは僕のことKARATEをやるか、JYUDOをやるかとも聞くので、どちらもやらないと云うとそれでは安心したといって笑わせます。
 結局、少し寸法が変る所があるので完成はしませんでしたが、土曜の朝すぐ完成しました。ローラの設計屋たちは僕が当然ホンダの車に乗っているものと思い色々な質問をするのですが、ホンダではなく別の車だといって手帳の写真を見せてやったところ、1.5lの車に乗っているのならよほど良い給料を取っているのだろうと思って、又色々とさぐりを入れて来ます。
 たしかにこの国では、大きな車は比率として少いのです。オースチン・ミニ、モーリス・ミニ、アングリア、インプが多く、ビバ、フォルクスワーゲンは少く、コルチナになるとかなりの高級車になります。しかも古い車が多く、日本では見られないフォードポピュラー、オースチンA40(ダルマオメン)、コンサルも良く走っています。ガソリンはレギュラー1l 60円ですので高いことが大きな車を少くしていることもありますが、車自身も高く、ゴルチナは1300ccのもので70万ぐらいします。結局僕の給料をおしえてやる代りに彼らのを聞き出したところ、残業は無し(やっても金をくれない)で年間140万だそうで、もっと一流のところでは、例えばフォードなら180万円+残業代ぐらいにはなるだろうといっています。
 こちらは物価は安くありませんので、彼らの生活は楽ではない様です。独身者は25%の税金を取られるといって歎いていました。彼らは一人はフォルクスワーゲン(オーストリー人なので特に高い買いものではないはず)、一人はくさったインプ、一人は色のはげたミニです。たしかにおそまつです。但し、この国の人は車を使う生活が身についていて、車を下駄と同じ様に気軽に使うところが実にすばらしく我々日本人は大いに考え方を変えなければなりません。

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